1.シリーズ・建設業経営を斬る
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 5/1(水) 11:14:57  返信も含め全削除
<シリーズ・建設業経営を斬る>
 このシリーズでは建設業界の問題点を指摘し、会員の意見交換のきっかけとなる課題を提供します。週一のペースで進める予定です。多くの会員の方の参加を期待しております。

1.変革の嵐に立ちすくむ建設業界(2002/5/1)
 近年、建設業界の経営環境が益々厳しい状況になってきた。これには二つの大きな要因が重なり合っている。第一の要因は、公共投資が減少期に入ったこと、不景気による民間投資の手控えで工事量の総量が大きく減少してきたことである。第二の要因は、長い間続いた建設業界独特の入札文化の崩壊である。日本的な人脈中心の入札制度や業界の仲間による慣例化した談合、地域のボスによる交通整理等、日本的入札文化が急激に崩壊してきた。特に第二の要因の恐ろしさはドライで激しい競争の波であり、俗に言う「仁義亡き戦い」の始まりである。それは業界に残っていた古い仁義の文化が崩壊したことを意味しており、いよいよ本格的な市場経済時代に入り、日本においても世界で合意された普遍的な世界共通の市場原理が作用し始めている証拠である。
 本格的市場経済はグローバル化した地球規模の現象であり、地球規模のボーダレス化によるテリトリー文化が崩壊したことを現している。更に、地球規模で各種のエリア文化にまでに大きな影響を与え、世界共通の差別のない超競争原理の社会環境が整ってきた。日本の建設業界だけが特殊なエリア文化で守られ、いつまでも超競争社会の部外者でいることは許さない社会である。更に、日本は電子入札制度に移行することが決まっており、益々ドライで激しい競争入札が予想され、建設業界も超競争時代の経営体質と経営手法に切り替えなければならない。新しい時代の経営体質に切り替える努力もせずに前年実績の売上を確保をすることができないことは言うまでもない。この社会現象は企業にとって拒否できない緊急な課題である。
 さて、変革の嵐に立ちすくんでいる暇はない。このシリーズは、その対応するためのヒントにを探ることが狙いであり、多くの会員のご意見や質問をいただきたい。      阿座上洋吉

返信 6 土田 好起  投稿日 5/15(水) 15:14:16  削除
市場環境に企業体質を合わせるということですが、私は経済には無知ですが(元来理系なもんで)阿座上教授は私でも理解できるくらい、普遍的というか当たり前の事をおっしゃってますね。環境が我々のような企業にあわせてくれるようなら、極論すれば国家の破綻まであるでしょうね。又講演などでも主張してらっしゃるように、資本主義の市場経済の中に我々建設業のような社会主義部門があることは当たり前じゃありませんよね。実際田舎では建設屋は計画経済の元に採算や生産性には全く無頓着ではないでしょうか?
ひつこいようですが、当たり前のことを当たり前にする。これをしている人は少ない。(私を含め) 
前回書いたように、当社には収益をうまない固定費のかかる人がいるので実質より余分に現場から経費をとる。当たり前じゃありません。市場経済の当たり前は「良い物を安く」供給するのが売り手です。自分の都合で余分なマネーをとっていては競争に負けるってことですね。
それと私の住む街を見渡しても、1万数千の人口に対して10億規模の土建屋が5件、5千の人口に対して3件です。こんな産業ありますか?当たり前じゃありません。国に過保護に育てられてるんですね。
甘やかされてるんで、先生の説く世界巨大市場に放たれたら、1$=200円ぐらいでも勝負にならないかも(トヨタみたいに1$=100円でも勝負できる企業は皆無でしょうか)
先生の言う企業体質を合わせていく課程は非常に険しく厳しいでしょうが、2年でなんとかしようと思ってます(遅いでしょうか?)当たり前にするのには自分自身が当たり前の経営者にならなくてはなりません。毅然とした態度と気迫を持って事に臨みます。まだまだこの掲示板で勉強していきます。
返信 5 阿座上洋吉  投稿日 5/15(水) 11:59:48  削除
●「市場経済と競争力について」(阿座上洋吉)
 これから始まる本格的市場経済時代は、工作物の価格を市場が先に決定する社会になります。業者の経営体質によって発生する費用はユーザーには関係ないことです。土田さんの土木工事の事例は、市場が無競争の状態のため自社の都合により積算した原価に過ぎません。これからの本格化する市場経済時代は、競争を前提に考えなければなりません。競争相手がいない場合は高く、競争入札の場合は安くとは、客に対して失礼であり不公平である。市場経済時代は絶対に慎まなければならない行為です。その意味で競争入札であろうと特命随契であろうと、市場においてユーザーを不公平に扱うことは許されない仕組を市場経済といいます。建設業界が長い間続けたユーザーへの不公平な行動が信用されない状況を作り上げたのです。したがって、今こそ市場が求める「良いものを安く」で信用される基盤を建設業界は構築すべきです。市場の環境に企業体質を合わせる経営に変えなければなりません。この点がこれからのビジネスチャンスになるのです。

返信 4 土田 好起  投稿日 5/13(月) 13:12:58  削除
超競争社会ということで、次元を下げた小話を一つ。我社の運送部門の社員から自宅の塀の修繕を土木部門の方に依頼されました。タマタマ私の自宅の近所の家だったので、帰宅がてら現地を見てみると、5〜6万で直るかなといった極々簡易な修繕でした。しかし、次の日私に土木部から上がってきた見積金額は、10万円です。
くだらない話ではありますが、ここが先生の言われている現実と土木業界の温度差だと思います。支払いする立場からみると、逆立ちしたって5万ぐらいしか払う気持ちにはなりません。しかし会社の経営側からみると各種の経費を上乗せした請求をするのが、当然と思ってしまいました。当初見積もりした担当者に「あんなものに10万も請求してるようだったら、競争社会では取り残されるよ。再度検討して、この半分で利益をあげられるように努力していこう。」とこんこんと諭しました。しかし在来の形態では10万でも出血大サービスの金額です。
そこで私は担当者に「これからの課題として前に私の言った事を念頭に競争社会に向かっていこう」というのみで、結局現時点では、10万の請求をするのが、経営者としての最終選択でした。(恥ずかしい話ですが・・・)
これが現実です。原価は5万ぐらいですが、会社経費▲%、作業員の各種経費▼%、材料費は原価の1.△倍といった具合に積み上げると簡単に10万になっちゃいます。これは{建設業界の常識}であっても、明らかに{一般社会の非常識}ではないでしょうか?
すぐに各種経費をゼロにはできませんが、生産性のない役員や、給料分の利益をもたらさない技術員や、社員を教育・指導出来ない経営者は、排除しなければ、根本的なコストダウンは計れないと思いました。つまり「余裕綽々の体質」から「市場経済の対処できる本物体質」を構築しなければならないと思います。
言うは易し成す難しでしょが、そうなるよう努力します。
返信 3 阿座上洋吉  投稿日 5/12(日) 09:12:27  削除
●「超競争の概念について」(阿座上洋吉)
建設業界についての近年の競争という概念は、品質と価格の双方に激しい競争が始まることです。公共工事であろうと民間工事であろうと関係ありません。品質については予定される水準以上であることは当然であり議論の余地はありません。したがって、超競争とは過去に経験したことがないほどの価格競争になることです。日本の建設市場において、本格的「強」競争市場を体験したことがありません。今までの建設市場は社会主義的な「弱」競争市場しか経験したことがないのです。また日本企業の経営体質にしても、「弱」競争として作用する年令型制度で、日本的経営の原点となっています。この社会主義的体質を抱えたままで強競争の市場へ参加はできません。建設市場が「弱」競争状態を前提とし、企業体質も「弱」競争のままで、工事減少期の本格的「強」競争の原理を論じても意味がありません。過去型の体質のまま「言い訳研究」をしてはいけないのです。超競争市場の出現はエリアレス社会の現実問題ですから、従来型の経営思想や経営手法が効かないことを留意しなければなりません。今年度は昨年より間違いなく「強」競争となり、来年度以降は想像がつかないほどの激戦が起きるでしょう。今は「建設業界大倒産期の前夜」と見るべきです。これから始まる本格的競争時代は建設業界にとって未知の世界かも知れません。小手先や見せかけの改善で生き残ることはできません。そのためこの「シリーズ・建設業経営を斬る」は、この難問に少しでもヒントになるための研究として提供するものです。このシリーズを注意深く検討しご意見をお願いします。また、これからの深い悩みを解決するためにも、会員対象の勉強会やフォーラムを開催する予定です。
返信 2 進藤信博  投稿日 5/10(金) 15:30:14  削除
「競争」というのは価格でしかできないものでしょうか。

建設業界の超競争時代への突入ということですが、何をもって競争するのか、ということを自分自身整理したいと考えています。
一番わかりやすいのは、「プライス」だろうと思います。発注者の要求するスペックに合ったものをできるだけ安い価格で提供する、ということですね。安い価格で所要のものを提供するために、工事のコストを切り下げる、ということになります。
では、競争するのはプライスだけでしょうか。
ひとつは「品質」を考えてみます。民間建築では、施主が要求する品質や機能に応じて変更提案をし、品質や機能を維持しつつコストダウンを図ることができますので、逆に同価格ですと品質・機能はより上のものを提供できることになり、価格だけとは言えません。しかし、公共土木では、発注者や学会などがスペックや材料・工法等を、がんじがらめにしていていて、シバリが多く施工する建設会社の裁量の幅が極めて小さいものとなっています。つまり、どこの会社が施工してもほとんど同程度以上のものが求められ、そして施工されている、ということになります。となると、公共土木工事で「よい品質」のものというのは、オーバースペックのものに限られてしまうのかな、と考えてしまいます。これではあまり意味のないことじゃないかと思うのです。結果的に「品質」では競争できないということでしょうか。
次には、顧客としての発注者が得る「満足感」でしょうか。この会社に仕事を発注するといい仕事をしてくれる、というものです。これがひいては企業のブランドにつながっていくものと考えられますが、上記と同様、民間建築にはあり得そうですが、公共土木では、あまりないのかな、と考えてしまいます。これは、受注者としての建設会社にとってわかりにくいものでしょうし、ストレートに次の受注につながるとは考えにくいと思います。
競争というのは、本当に「価格」だけなのでしょうか。何かサジェスチョンをいただけたらと思います。よろしくお願いします。
削除 ここに掲載された記事は 5/13(月) 06:36:58 に削除されました.

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