新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/1/10(水) 21:05:03
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1.格差がない理想的な社会は実現できるか
自由主義経済における市場経済の原理は、経済の弱肉強食の仕組みを取り入れたものであるから、必然的に強いものと弱いものに分かれ、格差社会になってしまう運命にある。この格差社会は国民の大多数の立場からすれば決して好ましいことではない。一生懸命に働いても経済的な格差が付いてしまうのであるから、経済的に大変であし、精神的にも不安定化し、犯罪やいじめが増えてしまうのである。その点で日本の1955年頃からから始まった高度経済成長期は、日本国が始まって以来の幸せな時代であった。それ以前の戦中戦後までの一般大衆は、かなり貧乏な生活環境の時代であったから、テレビや洗濯機を買える時代になったことの喜びは大きかった。しかも国民の80%もの人間が中流意識を持てた時代であるから、一般大衆の生活環境は、古今東西を通じて最高の状態であったかも知れない。この時代の日本の一般大衆は、これほど格差のない社会は経験したことがないのではないだろうか。家族は仲良く、職場は楽しく、犯罪やいじめも少なく、理想に近い社会環境であったと見るべきである。
2.格差社会に進展する必然性
現代日本の社会は、中流意識が崩れ、当時とは正反対とも言えるほどの状況になってしまった。家族は仲が悪く、職場は成果主義や能力主義で争いが激しく所得にも格差もつき、職場のいじめも激しくなり、凶悪な犯罪は増える一方である。その傾向は、最悪の社会環境へ向かって進んでいるようである。この現象の始まりは、地球規模で新型の市場経済社会に入ったことを意味しており、格差社会が益々拡大する方向に進んでいるのである。かってのヨーロッパにおける自由主義経済の発展の中で、格差社会の拡大が過度に進んできたことを心配し、マルクス・レーニンが格差社会に反発し、社会主義革命を起こす要因となったのである。近年の地球規模で広がってきた新型の市場経済の仕組みは、地球規模で大きな格差社会へと向かい始めており、発展途上国の中から新しい社会主義化のうねりが始まってきたのである。
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