新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/1/24(水) 14:40:14
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1.万物の原理である自然の摂理
人間に組み込まれた競争遺伝子の作用からは逃れることができない。つまり生きること自体が競争を引き起こす結果となる。競争がなくなることがないのであれば、努力して勝つ以外に方法がないのである。努力することは競争に勝つための行動であり、万物の原理はこの競争から始まるのである。人間社会からは競争を取り除くことはできないのであれば、競争に積極的に参加せざるを得ないのである。経済活動に自然の摂理である競争原理を組み込んだものが市場経済であり、この市場経済は、競争原理を基本として動いているのであるから、必然的に格差社会が出来上がってしまう。格差社会は避けることができないのである。唯一政治をもって人為的に修正することができる。鎖国的な規制や福祉的思想に基づく所得配分等の方法であり、本格的な規制が社会主義における計画経済である。しかし国の経済活動から競争原理を取り除いた計画経済は破綻したのである。自然の摂理に逆らっても失敗するのである。
2.格差社会の必然性の中で
市場経済における競争原理に任せることによって、人間の競争心から派生する努力によって市場経済は発展する。だから市場には人為的に手を加えるべきでないという。これを経済学者のアダムスミスは「神に見えざる手」と言った。市場の競争原理を取り除いた共産主義(財産を共有化させる思想)を導入した国では、国民全体が少し努力を渋っただけで、国の経済は衰退してしまう経験をした。旧ソ連や旧中国では計画経済の壮大な実験が失敗に終わったのである。その結果、世界の大部分の国は市場経済の仕組みで動き出した。現在の世界情勢の中では、少しでも努力することを怠れば直ちに格差が付く時代であり、地球規模で格差社会が到来したのである。ただ、中東の石油資源国では、学校や病院等公的なものが無料の国もあるし、近年の南米諸国の中で、資源がある国では社会主義化の傾向がでてきたが、いずれも資源大国であり資源再配分の考え方で格差社会を修正する可能性はある。しかし日本は資源貧乏であり、人材資源を磨く方法以外に答えは無いのである。
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