新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 9/7(日) 13:04:33
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1.形式的学歴社会が崩壊してきた
日本の学歴社会もいよいよ崩壊の兆しが出てきた。本物の勉強もせずに単純に学歴を主張していたのであるから当然である。社会が実力を要求する時代になったのであるから学歴だけでは通用しないのも当然である。日本社会は形式的な能力主義であったから形式的な学歴が重要であった。この形式的学歴社会を作り上げた責任は大学にもある。入学は難しいが卒業が易しいため入学までは勉強するが、入学後の勉強には精力を使わない。入学後はアルバイトやスポーツ、遊びに明け暮れてしまう。諸外国の大学のように勉強するために大学に入るのではなく、大学卒業という形式的レッテルを取得するのが目的になっている。本来ならば社会に出てから必要な知識や能力取得のための勉強の場として大学に入学するものを、日本の学生は勉強の必要性を感じないのに「大学卒」という形式的なレッテルを買うのが目的になっている。企業側も形式的レッテル人材を承知の上で採用していたのであるから、その責任は学生側より社会や大学側にある。中でも入学だけを厳しくし安易に卒業をさせた大学の責任は重いのである。大学が卒業条件を通常化していれば、本当の能力をつけた学生のみが卒業できる厳しい社会で通用する学生を育成できたはずである。
2.年令型の賃金体制と形式的学歴主義
日本の学歴主義が今日まで通用していた背景には、実力と無縁な年令型の賃金体制に大きく関係している。日本社会の賃金制度は、年令によって仕事の内容を決め、年令によって役職が決まり、年令によって賃金が決まる年令型の賃金体制であったため、能力主義に切り替えることが難しい最大の理由であった。年令型賃金制度から能力主義の賃金制度に早く切り替えなければ、益々厳しくなる市場経済化の環境の中で企業自体が生き残れない時代である。市場経済社会の競争原理は、人材の能力価値にも市場経済化を要求してきたのである。企業側も能力(人材の商品価値)に応じた賃金を払うのでなければ経営が成り立たない。競争社会では能力を超えて賃金を払う余力がないのである。グローバル化した地球規模の現象として人材の市場経済化は当然の現象である。特にローテク産業界では年令型賃金体制が強く、この体制のままでは経営状態が益々悪化する。
3.能力主義への切り替えの難しさ
日本や韓国の企業は、これほどまでに能力主義の切り替えが難しいのは理由がある。韓国の企業家が言うように日本や韓国の年令型制度は、儒教精神の影響で簡単に年令型体制から能力主義へ切り替えることは難しい。儒教精神は親や先輩、目上の人を尊敬する思想であり、長年にわたる伝統文化として日本や韓国に根付いたものであり、目上の人を尊敬するという大義名分が年令型組織の中心にあり、年令に関係ない能力によって判定する能力主義への移行が難しいのである。特に儒教精神をもつ年配者の管理職が企業の中枢にいるため、能力主義化への切り替えをいっそう困難にしている。しかし、このような環境にありながら日本や韓国も着実に能力主義が浸透しており、このうねりを止めることはできない状況となってきた。
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