新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 9/21(日) 11:01:12
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1.競争遺伝子の作用
人類のDNAに組み込まれた競争遺伝子の作用で人間社会では争いが絶えることがない。人類が地球上に出現して以来どこかで常に争いが起きており争いの歴史といってよい。国単位の集団で争いになれば戦争であり、個人の争いであれば喧嘩である。平和になればルールをつくってまでもスポーツという争いを楽しんでいる。スポーツに参加できない人はフアンという立場で参戦者に乗り移ってまで争いに参加し、争の勝ち負けに一喜一憂しながらスポーツを楽しんでいる。このように人間のDNAに組み込まれた競争遺伝子の設計図の指令によって一生を過ごしている。平和な状況になるとスポーツという争いまでも創り出して勝ち負けを楽しむのであるから、この争いの根源である競争遺伝子を徹底的に究明しなければ、人類の本質的な勝負や平和の行動が究明できないのである。その意味で争いの根源的究明こそが人類の平和な幸せの研究の基礎となると思っている。
2.競争遺伝子の陰湿な部分の研究
競争遺伝子の作用によって勝ち負けが生じ、結果的には当事者間で上下関係が出来上がる。福沢諭吉が天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずと言った。これは天の下では人はみな平等という意味である。人間にとって到底敵わぬ強大な「天」があるとした考え方である。この強大なものを「天」という上位にある概念の設定であり、人は常に天の下で平等であるとした。したがって「天」という上位概念を設定して整理した上下概念の思想である。この天の概念を前提に組み立てることによって、多少個々人の競争心が抑制され集団に平等感ができるのであろう。天は強大であり小さな人間では逆らうことが出来ないという論理である。この上下の概念を利用する手法は宗教に類似している。過激な競争遺伝子を如何に安らかな状態にするかの問題であり、ここに平和な社会を創出するヒントがあるのかもしれない。競争遺伝子の良い面は、自分の能力を向上させるために努力することや、精神的上位にある場合に親切な行動することができる。反面、競争遺伝子には「いじめ」のような陰湿な部分が沢山あり、この陰湿な部分の徹底的研究こそが人類が幸せの研究の基礎になると思われる。
3.競争遺伝子の具現
競争遺伝子が最も陰湿な形で現われるのが「いじめ」である。競争環境の中で自分を上位化するための手段として、相手を下位化させる行為が「いじめ」である。いじめは自然界の摂理である自分の優位性を保つ本能的闘争行動である。自然界が弱肉強食になるのは自分の遺伝子を優位に残そうとする自然界の通常の行動であり、いじめもその現象の通常の姿である。いじめを奨励するわけではないが、自然の摂理として自然に発現するのであれば素直に「いじめの原理」を認めるべきである。それによっていじめの本質が解明され、いじめ予防策の研究に効果があると考えられる。「いじめはあってはならない」とか「いじめない」ばかりいわないで、「いじめ」があることを前提に研究をしなければならない。人間が努力すること自体が仲間より優位に立つため努力であり、仲間の中で勝ことである。したがって仲間の中に上下関係を持ち込まないというならば、努力を禁止しなければならないはずである。意識しないで他人をいじめている場合があることもあり注意すべきである。
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