新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 10/5(日) 14:11:34
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◎ 競争遺伝子の原理を整理していると自分自身の中で葛藤が起き、整理にするのに苦 しい思いをすることが幾度かあったが、できるだけ冷静に整理しなければならないと 自分に言い聞かせて書いている。
1、競争原理の激しさと優しさ
人間が激しく争うことは競争遺伝子のせいであるが、優しくなれることも競争遺伝子のせいである。競争に負け精神的に不安定になればストレスが蓄積し優しくはできない。人間は常に競争する運命にあり競争にさらされている。しかし競争関係者全員が勝者になることはあり得ないし、勝者は小数であり大部分が敗者となってストレスを蓄積する。このストレス解消のためには将来の上位の可能性に期待するか、勝負の原理から派生する敗者の論理を整理するしかない。前者を夢といい後者を悟りと呼んでいる。財産的物欲の競争原理は無限大に作用するし、権力についても最上位になるまで継続するため、権力についてもほぼ無限大に近い。そこで少し競争から離れてボランテア活動のように、精神的な上位に身を置くと人間は優しくできるのである。この点が教育上のヒントとなるはずである。また、近年小学校において褒めながら教育する手法を試みられている。これも精神的上位を想定させる方法でよいことである。先生が児童を褒めることによって、褒められた児童には将来上位の可能性を感じさせるから、ストレスが蓄積しないで済むのである。人間の本性である競争原理を研究することが、いじめや人類平和のヒントになる可能性があるはずである。
2.生物の競争原理と経済制度
人類の無限に作用する競争原理を利用した市場経済は、人類の競争心を煽って発展する経済制度であり、決しよい面ばかりではない。競争相手を蹴落としてまでも勝とうとする行為は、激しさのあまり過剰なまでに競争を引き起してしまう。このように市場経済は多くの欠陥を抱えた制度であるが、欠陥があっても競争原理は自然の摂理であり、市場経済に代わる制度が見つかるまでは欠陥を承知の上で当分の間は利用せざるを得ないのである。競争原理を無視した計画経済では、国の経済が破綻したのは経験済みである。生物の競争遺伝子を無視したことによる失敗は、自然の摂理の逆襲であったかもしれない。この点をマルクスは読み違えたのであろう。
3.競争原理と能力主義のストレス
競争心を抑えて人間関係の和を重視した制度が年令型の集団である。原始共産主義時代の小集団の部族であれば、長老が支配する年令型の和を中心にした集団統率が可能であった。当時小部族の脅威は内部の人間序列ではなく、外部の自然界の脅威であったから内部は団結しなければならず、団結のためにも和が重要であったのである。集団の活動としてもリーダーの指揮権も重要であったから、自然に小部族の内部は集団主義の統率思想が重視された。これに対して今日のエリアレス時代の世界巨大市場にあっては、小部族時代の統率ノウハウを吹き飛ばしてしまった。日本は小部族時代の原始共産主義思想の残骸が残されているが、世界巨大市場では地球規模で競争原理が作用するため、小集団時代の年功序列が機能しないのは当然である。厳しい能力主義以外を選択する方法がなくなった。そのため今後激しいストレスの増加に耐えられない人々が増加するであろう。
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