新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 10/19(日) 18:17:05
返信も含め全削除
1.人は、子分を作りたがる
人間は、去勢を張ったりして子分を作りたがる。自分の子分を作ることは優位性を確保するためであり、その環境を整えることによって精神的に安定する。親子の関係であっても、親に従順で親の言いなりの子供が、一般的に家庭教育がよく躾けされた良い子とされている。このような家庭環境や親子関係は良いことであるが、親が自分の子供までを子分のように育てることは一考をようする。これでは自主性のない子供に育つことが多く、必ずしもよい面ばかりとはいえない。神様は子供時代の成育する課程にわざわざ反抗期という課程を組み込んでいる。反抗期の子供は親の言い分だけでは動かないよという主張する時期である。この課程を通過しなければ大人になれないように仕組まれているのである。過去の日本の人間関係の基準は儒教精神の影響もあって、親や目上の人、上司、旦那等に対して絶対服従が良しとされていた時代も合ったが、近年、儒教圏の国々でも儒教精神が薄れてきており異変が起き出してきた。
2.親は子供を代理戦争の戦士を作りたがる
当人が意識するかしないかは別にして、自分の人生設計の失敗を子供で挽回しようとする行動がある。親の立場としての大義名分は、子供の将来を考えて競争社会で負けないために教育熱心になると思っているが、自分の夢の具現を託している場合が多い。学歴社会の教育にも現われている。しかし親の教育熱心さは重要であり必要であることは当然であるが、形式的学歴教育ばかりを気を奪われている場合が多く、しかも親の子供に対する過剰な夢の具現目標が大き過ぎては、子供にとっては大きなプレッシャーとなるばかりである。自分の夢を子供に託して具現することは悪いことではないが、それが目的なっている場合などは、親に代わって代理戦争をさせる戦士を養成しているようなものである。これでは子供にとって悲鳴を上げたくなるのでは?。
3.競争遺伝子の原理と教育的遅れ
生物に組み込まれた競争遺伝子が闘争心となって生物の行動になって現れる。人類の競争心は非常に強く激しいものである。その競争遺伝子は進化に進化を重ねて、高度な頭脳をもつ生物にまで人間を進化させてきた。その意味で競争遺伝子は人類にとってはなくてはならないものであった。しかし人類はこの高度な頭脳までが競争に激しく加担するため、イジメや喧嘩、戦争まで引起す結果になっている。生物にこの競争遺伝子がなければ人類は進化を止め消滅していたかもしれない。多くの生物の中で競争遺伝子の弱いものは既に地球上から消滅しており、競争遺伝子の強いものだけが生き延びてきた。競争遺伝子が生物の延命や進化に重要な役割を果たしてきたことも事実である。しかし競争遺伝子はあまりに激しく無限大に作用するため、過剰に作用しイジメや喧嘩、戦争、テロ等を防ぐことが出来ない。競争原理が一定の限界を越えないような方法がないものであろうか。社会における各種の現象の根底に常に競争原理が作用していることは、既に実証済みである。人類は勤勉で切磋琢磨する行動も競争原理が根底になっており、競争心は進化や革新に重要な役割を果たしているが、この競争心を適度な状態に保つことが難しく、人類にとって世界平和の点からも大きな研究課題である。
|