<45>個人主義の大衆化と集団主義    
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 12/21(日) 13:13:38  返信も含め全削除

1.なぜ、地球規模で個人主義が台頭してきたか
 一部の独裁者が支配する国を除けば、19世紀に入り世界は地球規模で個人の自由意思で自由に行動できる社会になった。これが個人主義化の波であり地球規模で広がっている。この現象は情報化社会の影響によるもので地球規模の情報化現象で、個人に偏見のない良質な情報が伝わる社会になったためであり、その良質な情報で自由な行動がとれるようになったためである。しかし個人の行動が何の制約も受けずに自由に行動できるようになった社会は近世のことである。この時代になって多くの人類がようやく本物の自由主義を手にしたのである。このような自由主義の台頭は人類にとって幸せなことではあるが、国によっては依然として古い因習や質の悪い文化も引きずっており、必ずしも全ての国で良質な自由主義化の社会へと進んでいるとはいえない。わが国においても日本独特の因習や古い文化を引きずっており、特にビジネス文化については世界に通用しない文化も数多くあり、日本の常識は世界の非常識とまで言われ、改めるべきビジネス文化も沢山存在するのである。

2.本格的民主主義の台頭と集団主義の崩壊
 人類が本物の自由主義を手にしてきたため、社会は益々個人が自由に発言できる環境が整ってきた。そのため地域住民や市民、国民といった大衆が心の底から本心を主張し始めている。従来は自分の本心ではなく「長いものには巻かれろ」といい、大きい声や権力のある者の言いなりになる方が得策であるとする考えがあった。集団内であまり自己主張すると損をするという風潮があった。また「寄らば大樹の陰」といい、大きな集団(会社や団体、派閥、学閥等)に所属し、個人の主張は控えて集団の一員として行動することが得策であるという考えが一般的な時代があった。これが集団主義思想が受け入れられた理由であった。そのため「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という集団主義の典型的な規範ができたのである。しかし今や「赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ」という時代であり集団主義が通用しない時代に突入したのである。

3.日本の伝統的な集団主義の残骸をどう克服するか
 集団主義がすべて悪いと言うのではないが、個人行動の自由主義化が急速に進んでおり、この様な地球規模の大きな個人主義化のうねりが止まるとは考えられない。更に個人主義をベースにした民主主義化の波も大きなうねりとなって動き出しており、日本企業の集団主義文化の残骸が苦境に立たされ始めている。この集団主義の残骸が企業経営の命取りになる可能性まで出てきた。集団主義思想の管理職が部下に対して大きな声を上げて集団管理をしようとしても、質の悪い内容のものであれば命令や号令で個人主義者の部下を動かすことは不可能である。また良質の内容であってもその内容が部下に理解しやすく伝達できない管理職では、部下から見放され結果として部下を戦力化することが出来ないのである。集団主義が崩壊した時代になったのであるから、管理職は個人主義者の若い部下を戦力化するノウハウを身につけない限り、管理職として通用しなくなったことを留意しなければならない。命令や号令型の管理職からマネジメント型管理職やコーデネータ型管理職の能力が要求されているのはそのためである。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.