新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 2/1(日) 17:07:15
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1.QC運動と日本人の精神文化
品質管理にQC(Quality Control)という活動がある。ISOと同様に製造業の生産現場の進化を助長させる運動として生まれたもので、品質向上に大きく貢献し日本製品の品質が世界から賞賛される基礎を作ったと言っても過言ではない。それほど日本の製造業の生産技術の向上や品質向上に貢献した運動であった。このように日本のQC運動は大成功を収めたのである。しかも当時の生産現場で携わる人はQC運動に命をかけているように見えるほど真剣な取り組む姿があった。しかしQC運動に科学的根拠があったにせよ生産現場の働きぶりは何かにとりつかれているような雰囲気すら感じがあった。当時の日本人は何故それまでして真剣に働いたのであろうか、やはり高度成長期は貧乏から抜け出したばかりで日本人の根底にハングリー精神があり、この運動の精神的な側面が大きく影響していることは間違いない。やはり大きな改革改善は技術だけで達成できるものではない。精神文化が大きく作用するのである。当時のQC運動が成功した背景には生産現場で働く日本人の精神文化が前向きであり当然として行動した。しかるにISOについては導入の段階からISOの精神すら理解されず、むしろ導入に抵抗する状況であり日本人の精神文化にも馴染んでいないのは残念である。
2.建設業にISOが馴染まない第二の難題
建設業界の施工現場が何故QC運動やISOが馴染まないのであろうか。これはQC運動やISOの制度の問題ではなく、建設業界の現場担当者が頭から建設現場に合わないと信じていることが大きな要因である。建設業関係者が口をそろえて主張することは、建設業の生産物は決して同一のものは生産しない。しかも生産現場は野外であり天候、災害等の影響により現場では何が起きるか分からない。したがって他の製造業の生産現場と違い生産環境の関係で工種、工程、工法等標準化することが難しいと主張する。この大義名分があるため現場担当者は頭から標準化をする気はない。ISOは工種の標準化がその第一段階であるが、この第一段階か不可能であるという研究を熱心にしているのであるから、ISOは永遠に本物化する気配がないのである。まことに情けない話である。前項で述べたように高度成長期の製造業者のようにすべての関係者が狂ったように見えるぐらい熱心に取り組んだ状況とは正反対である。当時としては、効果は目に見えなくても良い少しでも効果があることを期待して取り組んだ姿は凄みさえ感じたものである。建設業界はこの時代に新しい経営に切り替えることが必要であるのに深刻さを関係者は感じていない。残念なことである。
3.ISOという知的財産の威力を信じて
建設業の生産物や生産過程を標準化することが難しいことは認めるが、同一の工種や同一工程を詳細に吟味すれば共通点は大いにあり標準化できないことはあり得ない。確かに標準化の許容範囲に課題はあるが、標準化を否定することは間違いである。人間の心の問題までを数量化し標準化して心理学という学問まで体系化したではないか。標準化の試みもしないで標準化の威力を否定してはいけない。これからの建設業はISOという知的財産化を目指して努力をすべきである。
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