新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 9/26(日) 23:09:09
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1.完全な子供社会が消えた
日本経済の高度成長期までは、一部の特権階級を除き大部分の大衆は貧乏であった。当時言われたことは「貧乏人の子沢山」と言って子供が沢山いた時代であった。親は貧乏で仕事に忙しく子供を見守ることができない時代であったから、子供は親の干渉を受けにくい環境にあった。学校から家に帰ると兄弟の序列による統制を受けた時代であり、近所の子供と遊ぶ場合にも子供社会のボスによる統制される状況にあった。いずれも大人が介入しない子供だけの社会の現象で、兄弟の関係は年令序列であるし、近所の遊びの中にも年令や腕力的序列がありピラミット型社会となっており、大人社会と同様の上下社会が自然に出来上がっていた。この点が現代の新自由人を分析する上で重要なポイントとなるのである。当時の子供社会は学校を離れると先生や親の影響下にない状態で、大人社会から独立した子供社会が存在していた。学校の先生も学校以外の子供達の行動にはあまり干渉はしなかったし、親も家以外で起きた子供社会の行動はあまり干渉しなかった。子供たちも子供社会で起きたことは先生や親には報告しなかった。このように大人社会から独立した子供社会は現代社会から消えてしまったことを認識しておかなければならない。
2.子供社会が消えた要因(大人社会の中の子供)
子供社会が消えた要因は少子化による一人っ子家庭の増加である。兄弟がいなければ幼児時代の喧嘩の体験も出来ないし、子供どうしが同じ遊びをする時に合意する体験もできない。近年は幼稚園教育が盛んになったが、1年保育、2年保育、3年保育と年令が別々の保育で大人の監督下に置かれて保育されている。これは自然の摂理に任せた子供社会とはいえない。大人による人口飼育の手法であって、子供社会で自然に出来上がるルールや子供社会のトレーニングができない。幼稚園よりは保育所に年齢が混在する子供社会が出来る可能性があるが、これも大人によってコントロールされている社会である。これは批判をしているのではなく現代若者である新自由人がどのような環境できたか。その研究のために新自由人の生い立ちを整理する必要があるからである。
3.子供社会で何を体験したか
一人っ子時代になり子供社会が消え兄弟喧嘩も体験できないため、肉体による触覚センサーを体験することができないのが現代の子供環境である。つまり物心が付いた頃の軽い喧嘩トレーニング(じゃれ合い)を体験することができないのである。犬や猫の子供にも見られるように、幼児時代のじゃれ合いは自然界の摂理であり、子供時代の重要な体験である。軽い喧嘩によって痛みの程度を体験し、相手に対してもどの程度で肉体に傷がつくのか、喧嘩の程度や暴力の加減までがじゃれ合いでの中でトレーニングされるのである。しかも大人の審判がいない子供のみの社会で、子供たちだけで喧嘩や仲裁、審判までも行われていた。自然界の摂理である人間模様が当時の子供社会にはすでに存在していたのである。然るに自然界の摂理による成長過程が大人の思惑で育成される時代になり、これが新自由人にどう影響を与えているのであろうか。
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