<85>子供時代に体験する身内の死の悲しみ
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 10/3(日) 12:51:12  返信も含め全削除

1.一人っ子の個室環境
 近年、ある先生による小学生に対して行われた調査で「死」に対する意識調査の結果に愕然とした。死に対する恐怖感がなく、死んだとしても生きかえると思っている子供が大半を占めているそうである。何故これまで死に対する意識が変ったのであろうか。電子ゲームによる「死」の概念は、リセットボタンで簡単に再生するための影響であるとする意見がある。たしかにゲームによるトレーニングは思考過程に影響を与えていることは間違いない。個室でファミコンによる一人によるゲーム遊びは、自分の意思で自分だけの自由な時間のトレーニングであり、集団主義とは無縁の世界の環境である。過去の子供社会と大きく相違する点はここにあり、昔の子供社会では子供集団による時代劇的チャンバラ遊び、戦争ごっこ、鬼ごっこ、かくれんぼう等ほとんどの遊びは集団遊びであった。それが今日の一人っ子社会になると過去の集団遊びはほとんどが消えてしまった。これは当然のことであり一人っ子で個室人間として育てられたのであるから、集団で遊びたくても遊ぶ相手がいないのである。これは子供が選択したのではなく社会現象として一人っ子社会化の現象である。

2.死の悲しみや恐怖を知らない現代子供
 過去の日本における標準的家庭は三世代家族であった。この三世代家族で一般的な体験は、親子の伝統的関係が確りと継承されたことである。「三つ子の魂百までも」ということわざどおり、幼児期に自分の親と祖父母の人間関係を見て育ってきた。親子の人間関係は口で教育するものではなく見て育つものである。親子の間の上下関係や年令の上下関係等人間としての良い意味での関係は、幼児時代の環境で決まるのであるから三世代家族には見本があった。祖父母等が亡くなった時に自分の親(幼児から見た)の絶望的な深い悲しみは、当時の三世代家族の幼児は身内の出来事として体験していた。ファミコンゲームのように再生できないひとの命の恐ろしさや悲しみは、言葉の教育では伝えることが出来ないものである。

3.人生80年時代の家族集団に異変
 当時の社会において三世代家族が一般的であったのは、貧乏な時代であったから家族が助け合う必要があったからである。しかも昭和10年頃までの日本人の平均寿命は50才未満であったから、当時は人生50年と言われた時代であった。人生50年の時代の三世代家族であれば、幼児時代の身内の死の悲しみが深いものであるかを体験できたが、近年のような人生80年時代の長寿時代になれば、現代子供からすれば祖父母はいつまでも元気が良く、小遣いをくれる役割が通常の祖父母の姿になってしまった。高齢者も第二第三の仕事も終わり第四の生活を楽しむ時代になり、自分の人生観、生活観を大幅に変化させる必要がでてきた。社会が大きく変化する中で世代別に世界観、仕事観、生活観が相違するのは当然であり、世代別に社会体験が相違するため親子の価値観が合わなくなってきた。必然的に起きたのが三世代家族の崩壊である。現代若者は、幼児時代から一人っ子の個室型教育のトレーニングを受け、核家族型生活観が身についている。

<管理職の皆さん現代若者にどう対処しますか>

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