<87>地獄の特訓を受けた管理職の価値観
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 10/17(日) 22:10:52  返信も含め全削除

1.地獄の特訓で鍛えられた管理職の価値観
 地獄の特訓という教育が話題になったことがあるが、昔の日本の教育は丁稚奉公の時代から地獄の特訓という教育を受けることが多かった。それに耐えることが根性論として評価される通常の姿であった。第二次大戦の終結時までは、小学校の低学年時代から「教練」という兵隊になるための特訓があった。昔は大部分が一兵卒になることが当たり前の時代であったから、子供の時代から一兵卒の訓練が重要であったに違いない。

2.地獄の特訓までも楽しむ若者
 現代の若者にはスポーツ競技の開始時に「楽しんできます」と言う発言がよく聞かれるようになった。激しい競技のプレッシャーまでを楽しむという表現をする若者が出てきた。勝利を期待する心境によっては心地よささえ感じ悲壮感はない。戦争時には敵国に刃向かう精神とハングリー精神による地獄の特訓が根底にあり、到底楽しむという思想は全くなかった。このように社会環境が変り、生い立ちが変ると幼児期に形成される価値観が大きく違ったものになってしまう。同じような厳しい特訓であっても、受け止め側の意識や行動が違ったものになってしまうのである。過去型の地獄の特訓を体験してきた管理職の価値観と、プレッシャーを楽しむ若者の価値観には大きな隔たりがあることを認識すべきである。

3.日本人の価値観に大きな断層が存在する
 現代の日本社会には40才代を境に価値観が大きな断層が出来ている。この断層は水と油ほどの価値観に相違があり、簡単に融合化できるものではなく融合化は不可能かもしれない。人間の努力や教育で簡単に解決しそうもないほど隔たりが大きいのである。したがって、この二つのグループが互いに理解し合うことが困難であるならば、無理な融合化の方法を選択するより、価値観の相違を明確に整理し互いに価値観の違いを認知することの方がよいのではないか。外国人に対しては文化や価値観が相違しても違和感はなく、違いを有りのまま認知しているではないか。これが共存するための人類の知恵であり人間共同体として重要なことである。

4.自由で自主性に任された価値観の若者が増加する
 地獄の特訓で鍛えられた従来の教育システムの方が優れているとか、自主性を重視した思想によって教育を受ける方法が良いのかの論争ではなく、二大グループの価値観を相互に比較検討し、相互に認知することが重要である。良し悪しは別にして現在の若者は自主性重視の思想の中で教育を受け完成しているのである。この論議は選択の問題ではなく、双方ともに違った価値観で完成した人間であることを認めることが重用である。現代社会における環境下で育成された新しい人材が、益々増加するのであって決して減ることはないのである。それは幼児教育から刷り込まれた根本的な価値観の相違であり、社会環境の潮流といううねりの影響によるものである。

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