新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 11/21(日) 16:39:50
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1.対立構造は生物本能の行為
前回の連載で、対立と多数決について記述したが、歴史が示すとおり人類の歴史は対立構造の歴史でもあるといって過言ではない。何故、これほどまでに人類は対立するのであろうか、前にも述べたようにすべての生物のDNAに組み込まれた競争(闘争)遺伝子のせいである。すべての生物は自然の摂理として他より優れるように競争して進化するように仕組まれており、生物が地球上に発生して以来今日まで進化が続いており、未来永遠に進化しようとする本能による競争心(闘争心)は消えることがない。争いは無いほうがいいに決まっている。大宗教家や識者が言うように人間は仲良くすべきである。こんな当たり前のことはすべての人間は分かっているが、それにもかかわらず争いが絶えないのは、生物本能の行為として生命維持のための争いであり、これが自然の摂理である。栄養のあるものを出来るだけ食べ体力を付けて、優秀な子孫にDNAを引継がせようとする行為も本能そのものの行動である。
2.日本の村社会文化の崩壊と議論社会の到来
日本の戦国時代には諸外国と同様に国内の争いが絶えない時代であった。人類が対立するのは生命体の宿命である。それならば徹底的に議論上で対立すべきである。独裁者によって支配される時代は、左派系であろうが右派系であろうが双方共に民衆から言論の自由を奪い、独裁者の権力を誇示しようとして自分の意思だけを伝える社会を作り上げている。当時に比較して今日の日本における言論の自由度は、地球上で一番自由度の高い社会を作り上げている。この点はむしろ喜ばしいことである。ただ日本人の議論手法は未だに未成熟である。これは日本人の議論下手のせいである。長い間続いた家長、ボス、上司等の上位者に反論してはいけないという村社会の文化が根強くあったためである。しかし、現代若者を中心に起きている自己主張の現象や反発は、過去の日本の若者文化にはなかったものである。近年の女性の自己主張はいまや当然の現象として男性社会には受け入れられている。いよいよ性別、年令、地位等を超えて議論社会が到来したと見るべきである。
3.対立構造の中で重要度が増す議論手法
闘争心の塊である生物界の中で、人類だけが特に頭脳を進化させた唯一の生物である。したがって人間は頭脳による議論闘争に馴染むようにつくられている。いくら議論しても生命に危害を与えない。しかし日本人は議論闘争に慣れていないため精神的ストレスを蓄積しやすいことが多い。この点は学校教育から議論闘争の訓練をすべきである。多民族国家の先進地では既に始まっており一定の成果を挙げている。日本も議論に強い人材の育成が必要が出てきた。グローバル化社時代の世界戦略は、議論型人材であることは間違いないのである。徹底的な議論を尽くしても結論が出ない場合には、いよいよ本物の多数決制度が必要になるのではないか。従来のように十分な議論もせず大きな声に従うような建前の多数決制度は早く止めなければならない。
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