新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 9/4(日) 11:45:34
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1.日本的経営のもう一つの特色である年功型人事の整理
生物には本能的に闘争心、競争心がある。生命維持のために遺伝子の中に仕組まれた設計図のせいである。人間も同じように遺伝子の中に闘争心、競争心の因子が組み込まれており、他人に負けないために勤勉な行為や努力をするが、みなこの遺伝子の作用で行動している。人材の活用を遺伝子の闘争心、競争心を機軸にした人事評価が能力主義である。しかし、長い間日本人に馴染んできた日本的経営は、終身雇用制における年功型組織であり、人材の関係を年令序列化して闘争、競争を和らげるシステムを採用してきた。そのため完全な能力主義への移行ができにくいのである。多少は、入社同期と言われる人材間で争いが生じるくらいである。年功制とは、年令と功績をミックスした制度であるから、功績という能力に通ずる意味合いもあるが、功績とは、過去に上げた実績を評価したものであり、ここに能力主義の制度と基本的に相違がある。能力主義とは、現在進行形の能力を評価する制度であり、過去の功績主義とは基本的に評価の視点が違うのである。
2.年功制度は過去型実績評価制度である
長い間続いた終身雇用制度の日本では、過去に上げた実績評価をすることは何の違和感もなく受け入れられてきた。それは当該グループが今日あるのは、過去の功績者、功労者のおかげであると評価されるからである。この点は、終身雇用制度でなくとも評価されることは当然であが、ここで問題になるのは年功制のもう一つの視点である。年功制度とは、年令と功績をミックスした制度であり、終身雇用制度もの下では、年令とは勤続年数の長さの概念が入っている。そのため永年勤続表彰制度なるものが存在する。ここには長く勤務すること自体が功績であるという概念すら生まれてくる。日本では人材の能力が均一化していることを前提としているのであるが、本来、人材の能力が勤続年数によって判断されることはおかしいのである。では日本では何故このような判断基準が出来たのであろうか。これは日本の教育制度の思想に関係があり、教育は人材の能力について均一的にレベルアップさせることが目的で、学校は平均人間製造工場としての役割が重視されてきたのである。
3.現代における永年勤続表彰制度は勘違い
近年のビジネス界の環境変化は、過去の功績だけで経営の安定化はありえない状況下になり、現在の企業力に貢献しているかどうかが能力評価の重要な基準となってきた。現代の能力主義は過去型ではないことに注意しなければならない。ビジネス環境が変わり厳しい対応を迫られている現状では、企業の生き残りをかけたビジネス界の争いは、現在から未来に通ずる能力が問われることも当然である。ここに過去型功績の実績主義は現代社会に通用しにくくなってきた。近年の激しいビジネス界に能力主義に馴染まない人材に対して、永年勤続表彰をする企業は現代社会において勘違いしていると見るべきである。では、功績の評価はどうすべきであろうか。その功績発現の時に評価すべきであって、10年、20年後に功績を称えて評価すべきではない。リアルタイムで評価するべきであるという考え方が近年の主流となってきた。これが能力主義の基本的考え方であり、時代の流れである。
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