新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 1/1(日) 11:14:36
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1.グローバル化反対運動が各地で起きている
市場経済は財産獲得に競争原理を利用するため、その獲得競争は弱肉強食となり過激に競争が激化するため、勝ち組み負け組みに二極分化する宿命を秘めている。その点が人間としての倫理観に馴染まないと指摘するひともいる。近年のグローバル化した世界市場の中では、特に二極分化が以前より激しく作用してきた。そのためグローバル化反対の運動が世界の各地で起きている。その理由に二極分化により国民全体の並列的な成長が望めないという主張である。人類の幸せ論から言っても当然なことであり、国民全体の並列的成長論が可能であれば喜ばしいことである。幸い日本にとって、戦後から高度成長期までの国民全体の並列的な成長は、偶然的な環境の産物であった。何故なら、戦後の日本の市場経済はゼロからのお出発であったから、国民全体が並列化した状態で平均的に所得を拡大することができた。しかも日本人のビジネス行動は、当初から世界市場を相手に成長したグロ−バル化を各国に先がけて利用したのである。日本経済はグローバル化を前提にしか成長できなかったことを忘れてはならない。
2.グローバル化反対運動の行く末
グローバル化現象は、世界市場が一体化して競争原理が作用するのであるから、勝ち組み負け組みの二極分化が激しく起きるのは当然である。もともと二極分化は市場経済の特色の一つであり、必然的におきる現象であるから、これが欠陥であると主張すれば他に計画経済しかないのである。仮に自国を世界から隔離された環境にしたとする。そこではその国独自の経済政策をとる必要があるが、今日の地球環境では不可能に近い状態である。第一に資源のバランスが取れていなければならないし、大きな政府を作って国民に勝ち組み負け組みが出ないようにコンロロールしなければならない。結果は財産を共有化する共産主義になり、非効率的な計画経済を採用しなければならない。これは世紀の大実験で大失敗に終わっているではないか。
3.何故、今、グローバルスタンダードが論議されるか
今、世界中の人々が二極分化してきた。グローバル人間と地域主義者人間である。グローバル人間は世界をまたにかけてグローバル行動をとってビジネスの勝組が多い。地域主義者人間は、地域の文化を重視し地域の生活文化向上に熱心である。この点では両者は対立関係にあるのではなく、双方共に重要な役割を果たしている。ここで重要な点は、グローバル人間と地域主義者人間に二極分化しているのではなく、グローバル人間とは、現状の社会を現状のまま認識できる人間を指していることである。グローバル人間によってグローバル化社会ができたわけではなく、人間の本性である良い物を安く手に入れようとする行為が、狭く限定されたビジネス範囲を超えて国中に広がり、更に地球規模にまでビジネス範囲が広がる必然的現象に過ぎないのである。これが世紀末にあまりにも速く進み過ぎたためにグローバル化の必然性を見逃し、グローバル化を悪者扱いしてはいけないし、誤解している地域主義者人間を作り上げてはいけないのである。
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