<159>協調論か競争論かの争点を整理する
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 3/26(日) 12:39:27  返信も含め全削除

1.協調論者を強く主張するもの
 人類の幸せは協調にありとする論理であり、競争によっては幸せにはならいと主張する。確かに喧嘩ばかりしていては幸せになるはずがない。しかし人類にとって協調か競争かの論争は永遠の課題であって簡単に解決するものではない。何故ならこの両論は常に裏腹の関係で平行線のままで交わるものではない。しかしこの両論は人類にとって重要な意味を持っており、十分な議論によって争点を整理しなければならない。少し乱暴な表現をすれば、協調論は比較的前時代の集団主義時代の価値観が強く作用している。原始の時代の人類は自然界の中で弱い存在であり、自分達の生命を維持するためには集団化することが必要であり、集団化の中は協調性が重視される時代であった。狩猟民族を例にすれば集団と強調性が無ければ食料すら手に入らない結果となり、当時としてこの協調性が重視されることは当然のことであり、酋長や長老格のリーダーの下で協調性が村の掟として作用するのは当然であった。

2.グローバル化時代の協調性の変質化
 原始時代の小単位の村落体制時代に醸成された集団主義や協調性の価値観時代から、今日のように広域で流動化したグローバルな時代には、人類交流のエリアが巨大化し過ぎてしまい、従来型の集団主義や協調性ができ難い環境となってしまった。この時代に小単位の村落体制や民族単位を強く強調すれば、人種差別に繋がり多民族間で益々争いが激化してしまう。これでは時代が要請する協調性に最も逆行する要因となってしまう。つまりグローバル化時代の協調性とは、人種や民族、宗教、国を越えた概念としての協調性が求められている時代になったのであり、協調性という概念が変質化してきたのである。したがって従来型の小単位集団としての単純な仲間だけの協調性とは相違してきたのである。グローバル化時代の協調性の整理が必要な時代になってきた。

3.野球の世界大会に見られる競争と協調性についての民衆の意見
 今回の王ジャパン野球の世界大会に、チームの結束や協調性について、多くの論者によって協調性の重要性が称えられた。しかしこの結束や協調性は、競争相手の宿敵に対して機能したのであって、何もないところ、つまり競争相手がいなければ結束や協調性が生まれるものではない。つまり、協調性が強く作用するパワーは、強大な力(競争の相手等)に対して結束が必然的に生まれるものであって、原始時代の人類が結束して生命維持のための手段と同じである。このように自然界の脅威や強大な競争の相手が存在しない場合は、結束や協調をする必要性がないから、何もしなくても平和であり、人類にとっては幸せなのである。しかし、ビジネス界においては、スポーツ界同様に競争相手が常に存在する。その中で集団仲間とは協調し、外敵(競争相手)とは益々激しい競争をしなければならない。競争と協調のバランスの問題が常に付きまとうのであり、競争原理と協調論は一対の仕組みの中で起きる現象である。

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