新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 4/2(日) 21:18:42
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1.中流意識時代の日本の環境
日本の高度成長期には、個人の所得が平均的な成長を遂げ、国民全体の80%が中流意識をもった時代が到来した。この現象は中産階級という意味ではなく意識の問題であるが、80%もの国民が意識的に中流であると感ずることは実に素晴らしいことであり、国民にとって日本国始まって以来の幸せな時代であったであろう。しかし、残念なことに近年、中流意識が薄れると共に、勝ち組、負け組み論争が巻き起こり問題視される時代になってきた。国民の大部分が中流であることが好ましいが、市場経済における競争原理が強く作用すると、自然に経済的格差を生じさせる結果となることは言うまでもない。社会学的に中流状態を創出するためには、社会主義国家を樹立する以外に方法がないのである。これでは自由主義国家の市場経済か、社会主義国家の計画経済かの論争をする結果となり、100年前の1905年の第一次ロシア革命時代と同じことを論争しなければならない。これでは100年もの間、人類は何を学習してきたのであろうか。
2.市場経済の競争原理の作用
人類としての幸せは、競争では得られないことは承知しているが、遺伝子に組み込まれた動物本能としての競争心や闘争心が、何らかの形で顔を出してくる。この競争心や闘争心は、生物が進化するための原理であり、永遠に消えることはあり得ない。この競争心や闘争心を経済の仕組みの中に取り込んだものが市場経済であるから、市場経済には競争原理が作用するのは当たり前である。この競争原理を取り除けば市場経済ではなくなり、社会主義における計画経済となってしまうのである。経済制度から競争原理を取り除いた計画経済を、世紀の大実験によって確認したことは、国の経済が破綻し国が滅びる結果を体験をしたではないか。
3.グローバル化時代に起きる勝ち組、負け組み現象
近年のグローバル化社会の現象は、国境を越えたビジネス取引が通常の姿になってしまった。そのため市場経済の競争原理が、国の枠を越えて激しく作用する時代になってしまった。もはや国の政治力のおよぶ領域ではなく、地球規模で競争原理が作用する時代になってしまった。これによって地域の仲間同士で通用していたビジネス文化が崩壊したし、国別に醸成されたビジネス習慣も変質化し、国を越えた国際ルールが強く作用する時代になってしまったのである。これらの現象を個人の感情や情緒的に政治のせいにしても何一つ解決するものではない。世界の市場経済が地球規模の世界ルールで作用する時代は、国別エリアの政治では機能しないことは当然であり、このような時代の現象を人類が体験したことがないのである。この世界市場環境の中で起きている現象が、勝ち組、負け組みの激しい現象であり、日本だけの問題ではない。人類はこの難問を未だ解決する方法を見出してはいないのである。
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