新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 4/23(日) 12:46:44
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1人間の多様化する特性とバランス
近年のデジタル化が進む中で、人種を二つに分けデジタル人間とアナログ人間の議論がされている。生命体である人間は有機体であり、肉体も常に変化しているため、その影響化にある精神も肉体と共に常に揺らいでいる。これは生物体の特色であり人間だけの問題ではない。その意味で人間は、本来アナログであることが通常の姿である。したがって、コンピュータのような完全デジタル化の人間は基本的には存在しない。近年、コンピュータが道具として使うことが日常化するにつれて、デジタル的行動の人間が現われてきたことは確かである。研究分野についても自然科学はデジタル的研究であるし、社会科学はアナログ的研究分野である。しかし、自然科学と社会科学を完全分離すべきものではなく、一部の大学で始めている社会科学部では、自然科学と社会科学を融合化させバランスのとれた教育を中心に置く大学もあり、教育界にとっても大きな課題となっている。
2.性善説と性悪説の中点とバランス
性善説と性悪説の論議があるが、この論議を少し極論に整理すれば、性善説の論議は神様の領域であり、性悪説の論議は悪魔の領域となる。人間は神にはなれないし悪魔にもなれない。つまり中点に立っているのである。この中点が非常に怪しい位置にあることが問題である。怪しい位置とした理由は、位置が一定していないという意味である。つまり常に揺らいでいるのである。その意味で中点という確定点の表現は適切ではない。神の領域と悪魔の領域の中間の隙間に人間の領域があり、この人間の領域の幅の広さと揺れのスビードが速いひとを、感情の起伏が激しいと敬遠する。また悪魔の領域の方に強く振れるひとも問題視される。神の領域に多めに振れるひとは聖人と称されるが、人間の弱さである悪魔の誘いを経験した人でなければ、その苦しみを理解できないから、神はすべてを見通しているという意味では、悪魔の体験をしているに違いない。だから罪びとの真の苦しみが理解でき、その苦しみから解放させるために全てを許すのである。他の領域の理解が重用なのである。
3.仕事もデジタルとアナログのバランス
コンピュータの普及によって、デジタル信号による情報共有化は当たり前になってきた。従来型のピラミット型人事組織が変質化し、ネットワーク型人事組織が中心になってきた。ピラミット型人事組織では、上司から生の声で指示されるアナログ型組織であるが、デジタル信号の共有化時代は、上司の命令指示で動くのではなく、共有化されたデジタル信号を自ら覗きに行って、自分の判断で検索した情報によって自ら決断し行動しなければならない。ピラミット型人事組織は、管理型野球に例えられている。一球、一球監督のアナログの指示下で行動するシステムである。これに対してネットワーク型人事組織は、自己責任型のサッカーに例えられている。監督や司令者がいても、一つ、ひとつの行動指示は不可能であり、個々の決断に任せて行動する以外に方法がない。ここに情報共有化時代の仕事観の特色があり、時代は間違いなく個人の能力主義中心の時代へと向かっている。能力主義とデジタル化への対応を本格的に考えなければならない時代である。
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