新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 06/10/15(日) 10:59:51
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1.三歳児までの体験と価値観
一人っ子として生まれ個室で育てられた子供達は、幼児時代を兄弟に囲まれて過ごした子供と比較すると大きな違いがある。昔の日本の通常の家庭では、兄弟が5〜6人が普通であったから小さい時から兄弟喧嘩は日常化していた。この時代は子供達だけによる集団トレーニングの場が存在していた。この幼児時代に肉体的に大きいものが支配するのは当然であった。この幼児期の体験で、世の中には自分より強い者が存在することが体に刷り込まれたのである。この体験が上下関係の規範を身に付ける機会となっていた。これが集団生活における団結が保たれる根源である。この体に染み込んだ上下関係の価値観の良し悪しは別にして、幼児期のトレーニングは強烈に体内に染み込んでいた。この点を先人は「三つ子の魂百までも」と言っている。三歳児までの幼児時代に染み付いた癖は一生抜けないという意味である。
2.子供の喧嘩の質に異変が起きている
豊かになった日本の家庭で育てられた一人っ子は、三歳児までは、親の玩具のように育てられ、幼児期に子供だけの社会体験がない。4歳以上の幼稚園では幼児期のトレーニングは遅過ぎるし、三歳児までの保育園であっても大人の価値観による管理下に置かれたトレーニングである。現代子供論として非難しているのではない。過去と比較してみると間違いなく子供社会の環境が大きく違っている。イジメは昔から存在したが、死ぬまでの過激なイジメはあり得なかった。しかし、喧嘩の数から言えば昔の子供社会の方が喧嘩は日常化して多かった。幼児期には喧嘩ばかりしているから、当時の子供は、殴り合いによる肉体的痛みはみんな皮膚感覚で知っていた。そのため相手を本気で殴るのではなく加減して殴る喧嘩が多かった。これほど子供時代の喧嘩のトレーニングは痛みの強弱を体験する重要が学習期間であった。今や大人から見て子供の喧嘩ほど恐ろしいものはない。昔の子供の喧嘩であれば「いい加減にしなさい」の一言で子供の喧嘩は済んだものである。
3.孤立型人間のパワー化
このように一人っ子として生まれ個室で育てられた子供は、超個人主義者に育つ必然性があり、孤立型人間になる宿命をもっている。昔は大人社会と別に純粋に子供だけの社会が存在した時代であり、現代子供とは大きく育ちが違う子供が出来上がるのは当然である。昔は、集団社会に馴染むように訓練される仕組みが子供社会に存在していたため、集団主義の価値観を持った人間が多かった。現代社会は、超個人主義者を育成する仕組みが出来上がっているため、社会は集団主義者と個人主義者の対立関係の構造になってしまった。過去の集団主義時代で問題になったことは、集団内部の世代格差をどう調整するかの問題であったが、超個人主義者が増加する今日では、同世代においても個々の価値観が相違する時代であり、集団としてパワーを創出する方法が難しくなってきた。近年、研究されている用途別チーム編成や、人的ネットワークシステムの手法は、超個人主義者を戦力化する手法として研究されている。
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