新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 06/12/3(日) 12:50:17
返信も含め全削除
1.純粋な子供社会のルールが存在した
昭和期の前半までは、平均的な子供の数が平均5人〜4人程度であった。高度成長期に入る前までは、貧乏人の子沢山といわれ、兄弟姉妹(以下兄弟とする)が大変多かった時代である。父親は家族を養うために一生懸命働かなければならなかったし、子供と遊ぶ暇などあるはずがないない時代でもあった。母親も専業主婦であったが、子沢山のため、食事の支度や掃除、洗濯等家事に忙しい時代であった。そのため両親共に子供と付き合う時間は、極端に少なかった時代であった。そのため親子の対話などする暇もなく、大人が介入しない子供による子供だけの子供の社会が存在していた。現代子供社会のような大人に管理されない純粋な子供社会が存在したため、子供たちで作り上げた規範も存在していた。
2.兄弟喧嘩はいじめのトレーニングの場
兄弟は年子(一つ違いの兄弟姉妹)が多く、年令が接近していた兄弟は、軽微なものを含めると朝から晩まで兄弟喧嘩が日常化していた。この兄弟喧嘩は、喧嘩相手が兄弟であるため、いくら憎らしいと思っても殺そうという意識の喧嘩ではなく、ただ自分の主張を通す手段として喧嘩であった。そのため殴り合いの喧嘩をしても、いつも手加減された節度のある殴り合いであった。この喧嘩は乳児期から始まり幼児期と延々と続けて若者となるのである。若者になったときは喧嘩の経験者としてベテランであった。この兄弟喧嘩は、いじめる立場の手加減の程度と、いじめの受け手側の痛みの体験として重要なトレーニング期間であった。
3.未経験な子供と節度の利かない他人同士の喧嘩
兄弟喧嘩が手加減される殴り合いであるのに対し、現代子供社会は、兄弟がいない一人っ子は、手加減された喧嘩の経験がないため、いきなり他人同士の喧嘩が始まれば、憎らしさが先行するため、手加減をしない本気の喧嘩になるのは当然である。そのため節度が利かない喧嘩が本格化する。時には死に至るまでエスカレートする場合があるのである。節度が利いた兄弟喧嘩の体験がいかに重要であるかが分かるのである。手加減を知らない子供同士の喧嘩は、相手を殺す気がなくても殴り合いの強弱の体験がないため、死にいたるまでの喧嘩になってしまうのである。昔は、いじめの受け手側も十分なトレーニングの経験が役に立ったのである。
4.他の動物も子供時代にトレーニングする
犬や猫であっても生まれた直後から兄弟のじゃれ合いが始まるのである。このじゃれ合い時に手加減して噛むという行為が、重要な体験となるのである。この手加減の噛むという体験によって、親は子犬や子猫を移動させる時に上首を銜えて運ぶことができるのである。子供時代のじゃれ合いの中で噛むトレーニングがなければ、犬や猫は大人になっても、優しい子育てができないのである。人間も兄弟喧嘩で手加減する体験は、重要な痛みのトレーニングである。昔は、子供の兄弟喧嘩で死に至ることなど考えたこともないし、他人同士の子供の喧嘩であっても死に至ることなどあり得なかった。親や近所の大人が口を出したとしても「うるさい」とか「喧嘩両成敗」といって、喧嘩の当事者の理由も聞かずに両者を同一に罰することは普通であった。本来ならば両者の言い分を聞いて悪い方を罰するべきであるが、当時の親は忙しく子供をかまう時間がなかったのである。
|