新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 06/12/24(日) 15:51:37
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1.少子化で仕立てられ超個人主義者の子供たち
日本の高度経済成長が始まるや経済規模が急速に拡大し、日本社会を一挙に豊かな社会に変身させた。一般大衆は長く続いた貧乏から抜け出し、国民の80%が中流意識を持つようになった時代であった。この意識変化は子供に対する教育観まで影響を与え、子供は少なく生んで大事に育てるという考え方が台頭した。この子供に対する意識が、一人っ子という超少子化時代に入り、子供は個室を与えられ、大事に育てる時代になったのである。この時代になると子沢山の家庭であっても、周囲の大部分の子供たちが1人っ子育ちのため、子供社会全体が一人っ子特有の価値観が確立し、子供社会全体が超個人主義化した社会となっていった。高度経済成長期までの一般大衆は、貧乏人の子沢山であり、大部屋育ちで親や先生による集団管理で育てられた子供は、集団管理の統制が利く子供たちであり、良し悪しは別にして、現代の子供のように親によって超個人主義者に仕立てられた子供たちとは大きく違っていたのである。
2.集団主義者と個人主義者は育ちが違う
貧乏人の子沢山時代は、親が子供たち全員に命令する集団管理型であり、学校でも先生が生徒全員に号令で指揮する上下型管理の時代であった。家庭における子供たちは兄弟喧嘩に明け暮れし、夜は大部屋で集団による雑魚寝という環境で育ったのである。これが当時の一般的家庭環境の現状であり、子供たちは、親からの強烈な命令で行動する訓練があり、軍隊組織のような環境で育ったのである。学校も同様に集団主義の軍隊組織の環境であった。これに対して現代の子供社会は、一人っ子の超個人主義者に対しては、命令による伝達手法がなくなり、親子は1対1の水平の対話の関係となった。親子の対話の関係とは、親子が対等立場で話をする関係という意味であり、友達親子の関係となったのである。先生との関係も水平化し、友達先生の関係が普通の状態になったのである。そのため現代の子供環境は、人間関係がすべて水平化した中で育てられ、過去の貧乏人の子沢山時代の集団管理型の垂直型の命令で動かされた時代とは、大きな違いで育てられているのである。
3.親の期待する価値観とは正反対の価値観で育成される
昔から「育ちが違う」という言葉があるが、それは子供時代の生活環境が人格形成に大きく影響するためである。そのため子供時代の価値観が大人になっても引き継がれていくのである。日本は高度成長期に入る前までの一般大衆は貧乏であり、ゆとりなどなく生きるだけで精一杯の時代であった。その悲惨な貧乏暮らしを体験した親は、せめて子供には貧乏を経験させたくないという気持ちは当然であり、欲しがる玩具を十分に与え、優雅に育って欲しいと願うのが親心である。この親心が子供に伝播し、親の期待通りに素直に優雅に育ったのである。結果的には親の貧乏人の子沢山時代の価値観とは、正反対の価値観の子供ができ上がり、自由人として行動する子供になったのである。これがフリーターやニートといった若者として現れてきたし、現代いじめ論にも繋がる問題があり、少子化問題が深層のところでいじめと絡んでいる。
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