新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 06/12/31(日) 11:43:47
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1.高度経済成長期の中で新しいタイプの子供が出現した
1955年頃から始まった日本の高度経済成長は、日本国始まって以来の豊かな社会になった。それ以前の日本の一般大衆の現状は、貧乏が通常の姿であったが、1968年頃にはGNPで世界第二まで経済が成長したのであるから、経済的な側面が一変したのである。この経済の成長は世界からは羨まれるほど高い評価を受けたが、一方で精神的には貧しくなったという酷評もあった。当時はそれほどの社会変化があった時代であったから、当然、子供や若者にも大きな影響を与えており、これが現代いじめ論の背景ともなっている。
2.高度経済成長期に新しい価値観が出来上がる
古今東西問わず「今の若者は」という言葉は、年配者から言い伝えられてきたが、この言葉は、世の中は常に変化するため、新しいタイプの子供や若者が出現するものという意味である。特に、高度経済成長時代以後ほど新しいタイプの子供や若者が、次々と出現した時代はなかった。それほど社会の変化が速かったことを表している。その変化は、親が変化が子供に影響するためである。当時の親は、長い間貧乏を経験をしているため、貧乏な生活が身に付いているが、豊かになってから生まれた子供たちは、豊かな生活が通常の姿として経験したのであるから、豊かな生活が通常の姿として身に付いた子供である。この豊かな環境の影響で価値観や生活観、生活行動等に違いが現れるのは当然である。
3.集団主義が崩壊し個人主義化が進む子供たち
高度経済成長期の始まりは、集団主義の時代であり、企業集団として力を出す時代であった。海外に進出する場合でも、銀行を中心とした護送船団方式であり、集団管理で訓練された人材によって、海外進出戦略が威力を発揮した時代であった。しかし、前述したように集団主義者の親は、自分の子供に対しては正反対の育て方をしたのである。「少なく生んで大事に育てる」という理由で、少子化で個室を与えられ、一人で遊ぶ玩具を与えられた子供たちは、必然的に親の特訓どおりの超個人主義者に育てられた。その子供が若者になり、超個人主義の価値観で行動するのであるから、日本社会が大転換が起きており混乱してきたのである。
4.愚痴が出るほど新しい子供や若者が出現した
貧乏を長く経験した親たちは、子供に対しては何不自由させたくない親心として、子供を優雅に育ってしまうのは当然である。しかしその結果が、人生観等価値観があまりにも違う子供や若者に気がついた時には、「今の若者は」では表現できないほどの違和感がある子供や若者に育っていた。これほど価値観が違う若者に対して困り果てた大人は、「今の若者は外国人と思え」というニックネームをつけて表現した時代があった。その後も違和感が拡大する一方で、数年後には外国人説から新人類説になって表された。これは外国人説より、更に理解できない子供や若者を表現したもので、外国人説より異質な人種であるという意味で、新種の人種を表現したのである。過去には、これほどまでに子供や若者に対する大人の愚痴が聞こえた時代はなかったであろう。現代のいじめ現象は、豊かに育てられた超自由人で超個人主義者の子供社会の中で起きている現象である。
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