新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/5/6(日) 12:07:26
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1.生物のDNAに組み込まれた競争心
DNAの中にある遺伝子には、生命体としての生き延びるための基本的設計図が仕込まれている。この設計図に「負けるな」と書いてあり、人間同士であれば「他人には負けるな」と作用するし、種の違う生命体であれば「他の生命体に負けるな」と言うことになる。この設計図が生命体のすべての争いの根源となっている。個体としてのAとBが生き延びるための争いになる場合もあれば、A集団とB集団の対立による争いになる場合もあり、民族間の争いもあれば、国同士の争いもある。この争いに負けて生命を失うことになれば、地球上に生命体が発生してから、人類になるまで進化を続けてきた自分のDNAが中断することになる。このDNAの中断が死の恐怖にもなってる。死の恐怖について簡単に解明できるものではないが、DNAの中断を本能的に感ずるものかもしれない。自分のDNAが子孫に承継され、年齢的に生命体としての役割を果たした場合に、死の恐怖が薄れていくのはそのためではなかろうか。
2.いじめは決して無くならない
いじめを根本的になくそうと思っていても、生命体を維持する限りいじめはなくならない。それはDNAの仕業であるからで、生命体の本能的行動を取り除くことはできない。遺伝子の設計図を変えることができるのであれば別であるが、設計図を書き直すことはできない。仮に我々人類の設計図を書き直すことができるとして、「仲良くすること」と書き換えた場合は、人間同士の争いは無くなるかもしれないが、一切の努力はしなくなる。何故なら努力とは競争を前提とした行為であり、努力自体を否定してしまう結果となる。それでも人類が仲良く平和に暮らせるものなら大歓迎であるが、同時に競争心が欠如するため後遺症が出てくる。人類以外の生命体(ウイルス等)との戦いをどうするのか。人類以外の生命体は次から次へと進化し、新種の武器を手にして人類に襲いかかてくる。このウイルス等のDNAにも「他の生命体に負けるなよ」を書き込まれているのである。この点から見ればいじめは軽い戦いなのかもしれない。
3.いじめを人類の宝としてはどうか
前述のようにいじめを無くすることは不可能である。DNAの競争心から発現するものであるから、生命体に組み込まれたエネルギー源と見るべきである。競争心によって負けたくないとして、努力が始まるのであるから、この競争心を取り除くと腑抜けになってしまう。確かにいじめは困った現象に見えるが、生命体のエネルギーの根源と考えると重要な機能を持っている。生命体の宝であるエネルギーの根源から発現する形態の一つにいじめ現象がある。いじめの発現形態を使いこなす研究が遅れているに過ぎないのである。いじめはあってはならないと規定するだけでは解決しない。いじめは人類の行動に組み込まれた通常の行動である規定すれば、このいじめを和らげることや回避するための研究が進むであろう。いじめは無い方が良いに決まっている。しかし絶対に無くならないとことを前提にして、研究や対応策をスタートすべきである。
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