新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/6/3(日) 21:17:23
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1.動物による代理戦争の形態
DNAに仕込まれた競争遺伝子の作用で起きる現象は止まるところを知らない。スポーツによって争う者もいれば、自分は直接スポーツに参加せずに、自分はファンとして野球やサッカー、相撲等の代理戦争に参加する者も多く、代理戦争も戦士が人間の場合もあれば、動物を戦士に仕立てる場合もある。競馬や競輪、ドックレース、闘牛、闘鶏、虫の試合、鳥の囀り競争等、色々の動物を駆り出して争わせる代理戦争に参加する。このように人間の行動には常に何がしかの争いが関係している行為が多い。人間の争いは高度に発達した頭脳の影響により、争いまでが高度に進化させている。人間以外の動物は本来、腹がすいて生命の危機が迫ってきた時だけは、弱肉強食の争いになるが、人間の争いは、お腹がいっぱいであっても食料の奪い合いをする。いわゆる食料を備蓄するという競争の争いである。自然界の動物にも蝦夷リスのような冬期間の食糧備蓄をする動物もあるが、それも自分の分だけでの一冬分だけである。しかし人間の備蓄は、自分の一生で使い切れない財産を蓄積するため、無限大の争いになって現れる。まことに人間の争いは始末が悪いものである。
2.過度に努力するといじめを誘発する
人間は全ての争い事をゲーム化して争いの種にしてしまう。これほど人間は争いが日常化している。それは競争に勝つための努力をするためであり、子供の教育や躾にしても過度にすればいじめにもなる。子供の反抗期に入れば親の言いなりにはならなくなれば争いになる。夫婦の間でも同様であり、争い事の深層部には競争遺伝子があるため、負けるわけにはいかないという競争状態になる。このように生物が進化するための原動力となった競争遺伝子が、生命体に組み込まれているのであるから仕方がない。それであれば人間はもっと素直に争いを上手に取り込むべきである。どうせ争いは無くなることがないのであれば、競争事と仲良く同居する方法はないのであろうか。極端な表現をするならば、いじめ問題とも仲良くすべきであり、争いをスポーツのようにいじめに向かわないような仕組みを積極的に研究すべきである。
3.努力も結果的にいじめ現象につながる
争いの形態は、喧嘩、いじめ、セクハラ、意地悪、悪口等の卑劣な争いのものから、ゲームのような笑いを誘うものもあり、スポーツのような楽しさの作用をするものもあり、何れも競争心による向上精神に駆り立てられて努力する過程で現れる現象である。したがって人間が努力しないように作られていれば、いじめは起きないはずである。競争に勝つために努力するが、この努力自体にいじめの因子が混入しており、競争に勝つことは相手を蹴落とす結果となり、精神的に大きなダメージを相手に与えてしまうのである。しかしスポーツの場合のように、ルールを設け審判員を置けば、勝ち負けで優劣が確定しても、いじめという認識が少なくなり、我慢することができるのである。
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