新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/8/5(日) 20:07:10
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1.東洋には昔から奉仕活動という行為がある
東洋には昔から奉仕活動という行為があるが、この奉仕活動に非常に類似した行為に、西洋的なボランティア活動がある。この東洋的奉仕活動と西洋的ボランティア活動の概念はほぼ同一ではあるが、深層の部分で多少概念の相違が見られる。国語辞典によれば、奉仕活動とは「報酬を度外視して国家のためや社会のため、他人のために尽くすことを言う」と定義されている。これに対してボランティア活動とは「自由意志をもって、社会的事業活動や災害時の救援活動などのために無報酬で活動すること」となっている。この文章的な表現では両者がほとんど同一の内容の活動となるであるが、東洋的奉仕活動は、宗教観の中に出てくる寄進に近い概念を含んでおり、自分に多少のゆとりがある場合は、他人のためや社会のために奉仕することは、自分の将来や来世に報われるのであり、決して他人様のためではなく自分のためである。という宗教的な概念を含んでいる。
2.ボランテア概念の特色
奉仕は東洋的な宗教観が基本にあるのに対し、西洋的なボランティアの概念には、自分の自由意志を基準にした概念であり、宗教的な経典や習慣文化から発現したものではない。自分の自由意思で自発的にその活動を求める結果とし発現したものである。自分が積極的にボランティア活動を欲している行為である。なぜ自分が自らボランティア活動を求めるかといえば、DNAに組み込まれた競争遺伝子の作用と考えられる。なぜなら、これほどまでに積極的にボランティア活動に参加したいと念ずる気持ちは、いじめ行為の反対の行為であり、このことが中心の論点として重要である。ボランティア活動自体には精神的に負担感や重圧感なく、それどころか自分の心の豊かさすら感じてしまうのである。したがって、奉仕活動の概念には多少は自分を犠牲にするという概念が潜んでいるのに対し、自分の心の豊かさを満足させるために、ボランティア活動をさせてくださいという意味を秘めている。文章表現として十分に意を尽くせないが、ボランティア活動は人間社会において、良い結果として作用するのであるから、今後、更に深く究明すべきと考える。
3.いじめとボランティア活動の接点
ボランティアの概念については、今後深く研究する必要があるが、近年の日本の災害時のボランティア活動の実態を見れば、我々東洋人の奉仕活動の概念を超えた行動が一般化してきたことは確かである。いじめ行為に対して、支援を前提としたボランティア活動の行為は、現象面が相反する行為に見えるが、もしかすれば同じ競争遺伝子から発現している可能性が高いのである。そのためこの研究として、双方を対比させながら研究する必要がある。いじめは競争相手に対して優位な地位や財力、体力、知力等を駆使して、自分の優位性を過度に主張する行為であるが、ボランティア活動は、自分の精神的な心の優位性が楽しく作用することをもって、「ボランティア活動をさせてください」とお願いして行動する行為であるから、人間には危害とならないし、本人も満足するのであるから、いじめ行為に及ぶ者を少しでもボランティア活動に誘導できれば、いじめが解決する可能性があるのではないだろうか。
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