新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/9/16(日) 21:03:55
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1. 現代の幼児教育の現状
超個人主義社会の幕開けが始まった。随所で新旧の対立や摩擦が始まってきた。現代の超個人主義者は、親の人生観によって一人っ子として生まれ、個室を与えられ三歳になるまでに、親の人生観によって超個人主義者に仕立てられた。これは批判しているのではない。現代若者の価値観や文化を探るための基礎的な研究として重要なのである。先人は「三つ子の魂百までも」と言ったが、3歳になるまでに経験した幼児文化は100歳になっても抜けないという意味である。3歳までの人間の知能レベルは動物程度であるから、動物の躾に似たトレーニングが必要な時期である。この重要な時期に一人っ子育ちの子供は、親のおもちゃのように扱われるため、動物を訓練するようなトレーニングが抜けてしまった。昔は動物のように飴と鞭による3歳児までの厳しいトレーニングが見られたが、今日の幼児教育には全く見られなくなってしまった。
2.超個人主義社会の幕開け
子沢山の時代は、親と子供の関係は1対集団の関係であったため、必然的に親は集団を管理するための手法を使わざるを得なかった。つまり親からの情報伝達の仕組みは上下の関係で行われるため、子供に対する情報の伝達の仕組みが命令による情報伝達が多かった。これに対して現代の一人っ子の場合は、親子の関係が1対1の水平関係になるため、親子は対話の関係となってしまう。対話の関係とは対等の立場で話す関係という意味になるから、上下関係から水平関係に変わったことを意味しており、水平化された親子関係は、友達のような親密な親子関係となってきた。親子が親密な関係になることは良いことであるが、問題は、親が子供を超個人主義者に仕立てておきながら、親が超個人主義者の扱いを知らないことにある。これらの変化があまりにも速く進んできたため、超個人主義者への対応についての研究が遅れてしまったのである。しかし社会は、超個人主義者社会の幕開けが始まっており、この研究の遅れを嘆いている暇はない。
3.新しいリーダー像が求められる
子沢山時代に育てられた集団主義者の行動と超個人主義者を比較すれば、大きな違いがあることは当然であり、今、この超個人主義者によって社会は大きく変貌しつつあり、超集団主義者と超個人主義者が対立している暇はないが、実際には双方の文化や価値観が違っており、違和感を解消する手立てがなく対立している。超個人主義者は、自分自らの個人判断で行動することが多く、積極的に群れには参加しない人種群である。仮に群れである集団に参加したとしても、所属する集団のリーダーの指示には積極的には従わない。そのため集団内部の統率が低下している。集団を統括する立場からすれば困った現象であるが、リーダーも新しい統制力の技術を身に付けなければならないのである。超個人主義者は、年配の超集団主義者の価値観や文化を体験していないのであるから理解することができないのである。年配の超集団主義者は、超個人主義を拒絶反応しないで現代若者の超個人主義者に仕立てられた必然性やその背景を積極的に研究すべきである。
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