新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 07/10/7(日) 20:52:01
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1.長生きする集団主義者が溢れている
一人っ子の第一世代を親にもつ第二世代の一人っ子の行動は、超個人主義化することは当たり前であり、その行動の良し悪しを論じてもあまり意味がない。何故なら個人主義者の行動は孤立型になることも当たり前であり必然性がある。今や日本社会は一人っ子の価値観が中心になって動いており、むしろ昔の集団主義者の行動の方が奇異に感ずる時代になったのである。人間の社会はどちらの価値観が正しいかの問題ではなく、どちらの人間が多いかで決まるのであるから仕方がない。民主主義は多数決を基本とするのであるから、超個人主義者がいつの間にか多数になったのであり、数の上で逆転してしまったのである。高齢者にとって問題なことは、世界一の長寿国になったため、過去の日本と比較すれば、過去の日本では集団主義の高齢者が量的に存在していた時代はない。高齢者が元気よく長生きする時代になったのである。これは結構なことであるが、問題は価値観が大きく違った者同士が仲良く暮らす方法を考えることが先決問題である。
2.集団行動と根暗の感覚
昔の集団主義者たちは集団行動を好み、仕事や遊び等の行動が集団行動であった。子供時代に一人で遊ぶ行動はなかったし、若者時代はマージャンで遊ぶことも多かった。しかし、近年の若者は、マージャンで遊ぶことはほとんどしなくなった。ある若者の意見では、「マージャンをするひとは根暗である」という意見まであった。根暗の理由を尋ねると。上司からマージャンを誘われ個人の自由が制限され、それを我慢してつき合わされるのは根暗であるという。仕事の帰りに上司から飲酒を誘われることも自由を制限されることであり嫌うのである。個人主義者は、自分の自由な行動を制限されることを嫌うのである。遊びたければ一人でゲームを楽しむ方がよいという。その結果、若者が出入りしていたマージャン荘は一挙に消えてしまった。特に大学周辺は軒並みマージャン荘であったが、一人っ子が増える中で一挙に消滅した現象は驚きであった。また同時に飲食の集団行動学生コンパも一挙に激減してしまったのである。
3.超個人主義者も一人では生きられない
昔から人間は一人では生きられないと言われているが、現代社会の個人主義者たちはどうするのだろうか。集団行動を嫌い個人行動に特化した若者が増えている中で、個人主義者たちも孤立のままでは居心地の良いものではないらしい。子供のいじめに「無視」と言う行為があるが、集団の中で無視されることは最高のいじめを感ずるようである。やはり人間は集団に所属し、ほどよい人間関係が必要なのである。また直接人間集団に所属しない場合でも、出会い系サイトを利用する者やメル友という通信上の人間関係は、集団主義者からみると奇異を感ずるのである。やはり人間は一人では生きられないため、あらゆる手段を使って人間関係を構築する。近年、米国で起きている異変に、低年齢者からギャング集団に入るという現象が急増している。しかも西海岸だけでも集団の数が数千団体という。しかもその集団に若者が家族を感ずるという。家庭という集団の機能が低下し、人間は一人では生きられないという特性と結びついた現象であろうが、日本に伝播することを恐れている。
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