新規投稿者 阿座上洋吉
投稿日 08/2/3(日) 15:14:39
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1.人間行動を競走の視点で分析
人間活動の全てについて少し乱暴な分析として「競走」をキーワードに分析してみると、経済活動はもとより生活等全ての不安定の要因は、人間そのものより生命体としての特性に起因している。つまり生物は生きるための活動自体に「競走」原理が作用する。それは競走遺伝子がDNAに組み込まれているためであり、人間の本性はDNAに組み込まれた遺伝子の性である。その本性を探るために生物学や哲学、倫理学、心理学、社会学、歴史学といった基礎的学問が重要となるのである。これらの分野を一般的に教養といっている。ビジネス活動を「競走」というキーワードで分析(あるいは「競走」という視点で分析する)すれば、単純に勝つか負けるかの話である。人間の行動や価値観の議論に性善説と性悪説なる論争があるが、この論争自体までも競走の論争になってしまう。人間にとって実に「競走」という作用は厄介である。何故なら世の中の現象の全てが競走を根源とするエネルギーが作用しているからである。
2.人間は無意識に三分類する
人間は、自分にとって仲間なのか、知り合いなのか、敵なのかに三分類する。仲間であれば競走の方向性が同じであるから争う必要がない。人間にとって何故仲間が必要になるのであろうか。それはビジネス行動であろうが生活行動であろうが、全ての行動の方向が同じであれば安心して仲間と認識する。つまり居心地が良いのである。そのために人間は仲間を集めて集団化する特性がある。しかしこの仲間を「競走」という視点で分析すると、仲間の中でも争いが発生し、足の引っ張り合い等争いが日常化する。同期入社は仲間意識もあるが、深刻な争いも潜んでいる。困ったことに家庭の中の夫婦の間や親子,兄弟の間においても対立関係が頻発する。この対立関係を「競走」の視点で分析してみると、その中身は競走の争点が潜んでいる。子供は遊びの楽しさと勉強の重圧で葛藤している。これも自分自身の中の競走原理の作用である。そこへ親が激しく勉強を強要すれば、反作用で親子対立関係が生じてしまう。親は子供が社会に出た時点の「競走」が頭から離れない。
3.仲間関係の難しさ
競走原理が作用するのは生物学の原理の問題である。生命体は種の保全のために「競走」の遺伝子がDNAに組み込まれ手いる。その作用で人間は「競走」から逃げることはできないのである。本来仲間であるはずの社内に対立関係ができるのも競走遺伝子の作用である。したがって、経営者と従業員の対立することや、上司と部下、社員同士等が対立することは全て「競走」という遺伝子の性である。この恐ろしい作用は、麻薬のように襲い掛かってくるのである。社内が対立関係であれば、外部の企業と競争する場合に不利になることは間違いない。よく言われることに「社員が一丸となって戦う」という表現があるが、社内対立関係の反対行動を示唆したものである。集団の競走を同じ方向へ向けることが経営者の役割である。競争心を同じ方向に向ける方法として、日本人の得意である精神訓話的な方法もあるが、欧米並みのドライでオープンな利益を上げるための道具として考える方法もあり、良い点は大いに学ぶべきである。
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