新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 04/6/7(月) 07:32:12
返信も含め全削除
蚕の姿焼き
日本でも、「お蚕さん」の呼び名で養蚕が農家の副業として、行われていたのは戦後間もなくまでであったろう。昭和30年時代、化学繊維の生産が盛んになり、いつの間にか、日本から蚕の姿が消えた。明治時代はこの蚕が貴重な動物蛋白源として珍重されていたという。蚕は中国全土の市場に売られている。茶褐色の丸々とした蛇腹のついたお蚕さんが、ボールに山盛りにされて売られている。あれをいつかは食してみたいと思っていた。
水産学院時代、女子学生二人と、学院の近くの食堂に出かけた。なにしろ大連は陸からも海からも豊富な食品が手に入るので中国人にとって、この大連に住むことが垂涎の地である。その小さな食堂に並べられている食材のなかに、蚕があった。その蚕に熱い視線を注いでいると、「先生、あれ食べましょう」と、可愛いい顔の女子学生が勧める。そうだあの蚕を食する時が巡ってきたのだ。炭火のコンロに、次々とお蚕さんを並べていった。しばらくは、身を捩っていたが、幽冥境を異にしたのか動かなくなった。「もう食べ頃ですよ、焼けましたから」の声で、蚕を食べ始めた。口中にドロッとした液状のものが、なんともいえない芳香を放ち流れていく。まさに至福の時であった。
|