新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 04/7/5(月) 13:33:39
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華清池の楊貴妃
楊貴妃のあでやかな裸像が、華清池のほとりに立っている。傾城の美女といわれる楊貴妃の塑像の下に立つと、世界三大美女の楊貴妃の妖気が漂っているような感じである。ふくよかな顔と体型、本物は凄かったのだろうなーとその裸像を眺めながら、その昔を偲んでいた。
西暦719年の生まれであるから、今から1300年近くも前になる。
17歳の時に、玄宗皇帝の第18王子の寿王に嫁いだと書かれている。玄宗皇帝も息子の嫁を自分のものにしようと、彼女が22歳の時に、この華清池に召されたらしい。「その天性の麗質は玄宗の心を掌中のものとして、」と楊貴妃年表に書かれているので、いまふうに言うと、楊貴妃は玄宗皇帝のハートをしっかりとらえ、それ以降17年の長きに亘り、皇帝の寵愛を一身に受けたことになった。
この華清池は、観光客が期待するほどの名勝地でもないのであろう。
「はい、ここが楊貴妃が湯浴みをしたお風呂場です。」
と、およそ10畳ほどの浴槽を見せてくれる。およそ1300年前に、この浴槽で入浴したと聞かされても、なんの感興も湧いては来ない。風呂場より池の景観の方がずっと見応えがあった。
安禄山の戦いで楊貴妃が宦官の手によって、最期を遂げたとき56才であった。
そして玄宗皇帝は78才、17年間、義父の寵愛をうけた楊貴妃も還暦前に亡くなったのである。白楽天が35歳の時、長恨歌を詠んだ。
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