新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 04/7/14(水) 13:04:16
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兵馬俑の第一発見者の楊さん
まず大雁寺へとバスは我々を乗せて行く、三蔵法師の教典を収めてあるこの大雁寺のハイライトはなんといっても、7階からの展望である。西安の市街が、この寺を起点として東西南北の道路が走っているのが分かる。今回は時間の関係か、年寄りが多いから無理と思ったのか、7階にも上がらず、そそくさと見学して兵馬俑に向かった。
兵馬俑の第一発見者の、楊志発さんに会えるかもしれない。彼はいま兵馬俑の紹介の本に署名をして、かなりの収入があるとのことである。
1974年(昭和49年)の春3月、貧しい農民の楊さんが井戸を掘っていて、まったく偶然に2200年前の遺跡を発見したのであった。今回の兵馬俑見学で会えるかと思っていたが残念ながら、今日はお休みとのことで、「楊さんに会いに来た、」と中国語で、係りの男性に話しかけたら、日本語で書かれた
「秦始皇帝兵馬俑 発見の顛末と 楊志発」の本を贈呈してくれた。
第一発見者は、いまごろは巨万の富を得て悠々自適の生活であろう、と思うのは下司の勘ぐりというものであった。その本によると、楊さんが発見した後、「世界に誇る大発見につき、30元を給する」と西安市から賜られたそうである。(邦貨で450円)
「世界的な大発見がこれっぽちか?」と楊さんは詰め寄った。
「中国の政府からのお達しだから仕方がない」と西安の役人の返答。
それからこの世界的遺跡の第一発見者に、各国のマスコミがインタビューを申し込むやら、いっしょに写真を撮らせろなどと、農業の仕事もママならず、とうとう各国のマスコミを相手にしなくなったという。西安市もいままでの処遇に思い当たるところがあり、上海見学に連れて行ったとか。はじめて見る大都会の上海のビルの林立、絢爛豪華さにたまげたそうである。
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