新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 04/8/6(金) 11:12:46
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全長437キロの漓江のうち、桂林から陽朔までの83キロの流れは、青羅の帯のように、延々と奇岩の間を縫うように走る。
天気晴朗にして波静か、乗客は日本人はじめ、各国の観光客であふれている。奇岩の連続、日本で見かけない山容が、静かな川面に映り、まさに自然の織りなすギャラリーであった。
そのうち一人の小姐が、われわれ4人の所にやってきた。大きな伝助を肩に背負い、
「みなさん、皆さんのビデオを撮りましょう。記念にどうですか」
「いくらだい」4人のなかでは、一番金回りのいいW氏が聞いている。
「1本、5000円です。この桂林の名所、他の場所も全部いれますよ。」
F氏はデジカメやムービー持参なので必要ないし、私もデジカメ一つで十分の映像が撮れる。結局W氏が主演、我々3人が脇を固めた「桂林の漓江くだり」の撮影を開始である。
後日この録画を見たが、ソニーの伝助は、見事な映像で主演俳優、と脇役を写していたが、6割は事前に撮影してあった桂林の景観(鍾乳洞、山容、街の景観など)は何度もダビングしたのであろう。この部分の映像がぼんやりと見えていた。
川下りの途中、対岸で生活する人々の様子が散見される。ここの広西チワン自治区は少数民族が多く、生活水準も低い人々が多い。
とつぜん対岸から筏に乗った二人の若者が、この遊覧船めがけてやってきた。見事なオールさばき、やがて船縁に着くと、一つの木彫りのような仏像らしいモノを掲げ、
「スーシークワイチエン、スーシークワイチエン」と叫んでいる。(40元、邦貨にして600円くらい)、その仏像が果たして売れたのかどうか、甲板からは見えなかった。上海の生活と、このような辺境の地で生きる人たちの生活の落差は、あまりにも違いすぎる。
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