新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 04/11/8(月) 06:37:51
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モンゴル平原の川下り
翌日よく晴れわたった平原を歩き、小川にたどり着いた。5メートルから10メートルほどの川幅に、ゴムボートを浮かべて川下りをすることにした。これなら昨日のように肝を冷やすようなこともあるまい。
この国慶節にモンゴル人はじめ、中国各地からの観光客が、昨日の乗馬、そして川下りに列をなして順番を待っている。
ほんのり色づいた川辺に、木の葉が風にそよいでいる。二人乗りのゴムボートに、今回の同行者の一番の美人教師との相乗りとなった。ほかの男性はまだ生臭さを残しているので、人畜無害の小生がペアとなって川下りをする僥倖に恵まれた。
川のせせらぎを聞きながらオールを操る。わずかに川の流れが速いところもあるけれども、緩やかな流れは、孫ほども年齢差のある一組のカップルを乗せてゆっくりと川を下っていく。四本のオールを操り、一時間ほどの川下りを楽しんだ。
大阪外語大で学んだ彼女は、アフリカにも滞在したことがあるし、フイリッピンにも1年間、日本語教師として指導した経歴があるという。
このように外国で暮らす女性の数はますます増えてきたであろうが、内に秘めた芯の強さは、無菌状態の日本の女性よりも数倍も頼もしい。川下りをしながらいろいろ会話を楽しんだけれど、一番印象に残ったのは次の言葉であった。
「たまに日本に帰って、昔の友達に会って話をしますが、会話の内容が、幼いというか、ミーハーというか、つまらぬことに一喜一憂しているみたいで、どうも話が合わなくなるのです。」という言葉であった。
そうであろう。不自由な環境にもめげず、孤独に耐えながら、ひとり外国で外国人に日本語教育をしている二十代の女性にとって、同世代の日本人の生き方に物足りなさを覚えることであろう。
昨日の蒙古馬といい、今日の川下りといい、観光資源を有効に利用して商売をしている蒙古人の商魂のたくましさを感じながら初秋のモンゴル平原での川下りを終えた。
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