新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 05/3/22(火) 07:12:29
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回想中国 5「学級班長 王君」
「先生、ここで待っていてください」
この大連水産学院に着任してすぐ、最初に宿舎に私を訪問してくれたのは、日語2年生の学級の班長の王 玉石君であった。いつも笑みをたたえ、180センチの長身、優男の風貌であるが、班長に抜擢されるだけあり、人格識見ともに優れた学生である。級友からの信頼もきわめて篤い。
そもそも班長とは、日本流に言うと学級代表であり、われわれの世代では級長さんという呼称で、一目も二目も人望を集めた存在であった。
中国のほとんどの大学は、入学時に学校側から班長を指名するらしい。
何ごともなかったら卒業の時まで、その任を勤める大事なポジションである。毎日の欠席の掌握はもとより、他の学級委員を束ねる事、われわれ外国人教師のおかしな言動があれば、お上(学校当局)に報告するお仕事も含まれているようである。
教師が国家体制や中国共産党を誹謗するような言動があれば、すぐ上申する立場にある。つまり外国人教師の生殺与奪の権利を一手に握っていると言ってよい。外国人教師を生かすも殺すも、班長さんの胸三寸といってもよいほどの怖――い存在である。
着任した九月、最初の雨が降った授業の後であった。傘もないし濡れて帰ろうかと、思案顔に玄関に佇んでいると、その彼が「先生ちょっとここに居て下さい。すぐ帰ってきますから」という。何だろうと思いながらも、5分ほど待っていると、傘を携えて小走りにやってきた。
「濡れたらいけません。これをさして帰って下さい」というではないか。
日本で38年間も教員生活をしていたけれど、こんな事言われたのはもちろん初めて、胸の中がジーンと熱くなって、こみ上げてくるものがあり、泣けてきそうであった。しかしこのような純真無垢の学生たちも、中国社会の修羅場をくぐり抜けるうちに、ごく当たり前の中国人に変わっていく。
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