新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 05/9/23(金) 11:21:10
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どうにかその二つのゲートもクリアして山頂に向かった。やがて203高地の山頂に着いた。粉雪が舞い、木枯らしが吹きつけている。
砲台の砲筒が何基も海を向いて備え付けられたままである。106年間置かれたままの砲筒は一世紀以上前の歴史を雄弁に物語っていた。
黄海は沖の遠くまで白波が寄せては返し、その昔も何事も無かったような風景である。
案内役の王君が日本語で説明してくれる。「この塹壕に屍が次々と積み重なったんです」「塹壕に屍」と言う言葉でさえ、日本の並みの大学生も口にできないのではあるまいか。ともかく彼の日本語の造詣の深さには舌を巻く。K先生の学院で2年生でありながら、3,4年生を抜いて、日本語能力試験を一番で突破したという俊秀である。
「乃木が来る」と泣く子を黙らせた
乃木希典率いる日本軍が、この地でロシア軍と戦闘を交え、日本兵士が数多く死んだ。そして日本軍勝利の戦果を収めたことはよく知られている。敵の将軍ステッセルとの会見の場所はここだった、乃木将軍の息子が、ここで戦死したという場所も王君に案内された。
当時の旅順の街では、乃木将軍がもっとも恐れられていたとのことで、泣く子に「乃木が来る」と言えば、たいていの子供は泣き止んだと言う。いかに日本軍が懼れられていたか、その残虐非道さは後世のわれわれには知られていない。私には彼の高貴な頬ひげと温容な眼差しの印象があり、明治天皇を追って殉死した、明治の武人として全うした崇高なイメージが残っている。
もっとも司馬遼太郎」の「坂の上の雲」の乃木は、無能な将軍として描かれてはいるが、明治政府の乃木希典に対しての要求も無茶なものであった。
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