回想中国22の2 そんな生活が2週間も
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/12/7(水) 11:35:48  返信も含め全削除

理事長も私と契約したてまえ、「あなたは要りません、何処へでもどうぞ」とは言えないのであろう。誠心誠意、次の仕事が見つかるまで、理事長の恋人の部屋に私を滞在させながら、仕事を探してくれていたようである。
その感覚が並の中国人とは違う、カナダで15年もの長きにわたり生活してきた国際感覚の持ち主であった。その理事長の人柄に胸を打たれるモノがあった。
そんな明け暮れをメールで娘のところに送った。家内も娘も心配して「早く、荷物を纏めて札幌に帰ってきなさいよ」という返事があったが、そうおめおめと帰国するわけにはいかない。
志を高く掲げ、日中友好を旗印にこの中国に渡ってきて、1年やそこらで尻尾を巻いて還るわけにはいかない。
まだまだこの身も捨てたモノじゃない。今度の話はいい話だと札幌の人にも、同期の仲間にも知らせていたので、今更「在大連三木老師不要了、回国了」(三木教師もう大連では要らなくなったので、帰国しました)とは言われたくない。
「男子志を立て、郷関を出ず、志叶わずば、死しても還らず」の老いの一徹の気持ちを引きずりながら、不自由な生活の明け暮れであった。
それにしても仕事もない、新聞テレビもよく分からない、一人で安いバスに乗り、大連の観光地という観光地を一人で探索していた。
朝は油で揚げた油条というパンと野菜を食し、昼は2,3元の不味いラーメンを食べながら、そのスラム街で過ごしていた。やがて次の職場の話がでてきた。

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