新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 06/3/29(水) 07:16:16
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そして次の文章
「私たちは絶えず落葉のしている雑木林の中に入っていった。私はときどき立ち止まって、彼女を少し先に歩かせた。二年前の夏、ただ彼女をよく見たいばかりに、わざと私の二,三歩先に彼女を歩かせながら、森の中などを散歩した頃の小さな思い出が、心臓がしめつけられる位に私の裡に一ぱいに溢れてきた。」
の文章のなかの、「心臓がしめつけられる位に私の裡に一ぱいに溢れてきた」という文章は何を表現していますか、という設問に、「愛する人が死を迎えようとしている作者自身の苦悩」という言葉が異口同音となって涙ながらに表現された。
文章を深く読む力は想像以上であった。そして悲劇のヒロイン「節子」への人間的な共感、節子の人間像そのものへの同一化は素晴らしかった。
果たして今の日本の現代っ子に共感できるのであろうかという思いが湧いてきた。
学生たちに日本映画を見せて感想文を書かせたことも再三あった。
「二四の瞳」(高峰秀子主演)、「男はつらいよ」「釣りバカ日記」の三本の映画を見せて感想を聞いたときに、圧倒的に「二四の瞳」に感動したと応えた。
またあの頃の映画で「一杯のかけそば」(泉ピン子の)に感動して泣いたと言う女子学生が多かった。また宮崎駿の映画では「トナリのトトロ」が好評であった。
もうあれから五年経過したから、当時の学生像とは少しずつ変わってきているかもしれないが、貧しい出身の学生たちが、涙を流すほど共感すると言うこと自体、日本の学生たちには求めても無理なことであろう。
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