新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 06/5/12(金) 07:13:25
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日本文学は、私の指導した大学生の教科書のなかに、数多く紹介されていた。
先日、堀辰雄の「風立ちぬ」を、三年生の精読の時間に扱い、サナトリウムの中で病魔と闘う薄倖のヒロイン節子と、作者の不安と葛藤の描写を感動的に読み終わったことを紹介した。
古いところでは源氏物語、明治の文豪の夏目漱石の「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「三四郎」をはじめとして、森鴎外の短編集や、川端康成の「伊豆の踊り子」「雪国」の作品はもとより、現代作家では数え切れないほどの作家が登場してくる。
教科書には掲載されていないけれども、渡辺淳一の「失楽園」まで、よく読まれているのだから、改革解放も本物である。
しかし日本文学の評価はどうであろう。中国の四大長編を初め、中国には世界に誇る作品があると、学生達は自国の文学を誇りにしている。
中国文学、ロシヤ文学、フランス文学の重厚雄大さに比べれば、日本文学の評価は低い。川端康成や大井健三郎が、どうしてノーベル文学賞を受けたのが不思議だという。何故あの作品がいいのか、よくわからないと中国人の先生方も首を傾げる。
社会主義の国であるから、ロシアや日本のプロレタリア文学の紹介はどうなっているのか聞いてみた。ロシア文学ではゴーリキーの「母」「私の大学」そしてマヤコフスキーの詩歌が、日本ではなんといっても小林多喜二の「蟹工船」が有名であるとのことである。
先日中国人としてはじめて、ノーベル賞をうけた高行健は、台湾では一大ブームを引き起こしたが、亡命者の彼に対する中国人の目は冷ややかである。学生に聞いても、あまりその事実を知らないようである。亡命者であるから当然のことであるが。
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