新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 06/5/25(木) 09:38:30
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短詩型文学について
まして詩歌となると、日本の俳句や短歌を指導しても、その短い詩歌に含まれている奥深さを理解させ、感動させることは至難のことである。
こんな五七五のどこがイイのだ。五七五七七の何がイイのだ。われわれ中国には世界に誇る七語絶句や五語絶句の世界があると、、、、それを誇りにしている。
大学の教科書に掲載されていた「短歌の鑑賞」のなかに、
窪田 空穂の わが指の高き節見よ世に経るは 難しといはし手を出しぬ父
中村 憲吉の 山坊の夜語り更けて向く僧は 精進食をたもつ歯のきよくあり
の短歌が載っていたけれど、それを理解させるためには文語文法から始めなければならない。「どうしてそんな聞いたことも無いことばの表現をするのですか」と聞かれたし、多少短歌に手を染めている私でも、上記の短歌を指導することは至難のことであった。
日本語のもつ優美で繊細な表現は、外国人に深く理解させることは難しい。
まず日本の短歌が、世界の人たち、いや日本の若者に理解されるためには、口語、新かなづかいの方向に進まなければならないであろう。もっと若者にとっても身近な表現にしなければ、日本の短詩形文学は衰退するのではなかろうか。
回想中国29「新中国成立当時の文学」
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