新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 06/9/10(日) 07:16:50
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何よりも驚くのは、食料の在庫と消費量の厳密な調査があり、もし在庫が多かった場合、残余の食料を海に捨てていたという。そんな映像は無かったが、いろいろな書物、資料に当たるとそれはどうやら本当であるらしい。
当時の庶民の生活からは想像もできない豪華な食料品が、大和に積み込まれていた。長期間の碇泊があったから、肉、野菜、米麦などの主食はふんだんに調達された。
しかし銀シャリと言われる白米だけのご飯は無かったようで、米7分、麦3分の主食、カレーライス、野菜の田舎煮、具沢山の豚汁、煮魚など当時の庶民には、涎の出るような食料が確保されていた。
沖縄戦に向かう寸前、反町隆史が新兵を集め、「さあこれを食え、」と取り出したのは全て豪華な菓子類であった。このような贅沢品も船内にあった。
★ 一口メモ 国家総動員法
昭和12年に成立したこの法案は、総動員物資をさす。つまり船舶、兵器、食料、飼料、衣料品、衛生物資など戦争遂行に必要な物資を、すべて国家で統制運用するための法律である。アメリカとの開戦が必至になったときに、これが強化された。違反者は懲役刑も科せられた。鍋釜や農機具の供出もした。食料、衣類、マッチなども配給制であった。
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