新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 06/11/10(金) 06:05:30
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「男たちの大和とその時代」10
神尾少年のその後の人生
西君の母親を訪問してから、恋人の妙子のもとを訪ねていく。
彼女は終戦前に広島の軍需工場で女工として働いていた。そしてあの昭和二十年八月六日の原爆の投下、一瞬にして灰燼になった広島にいたのであった。
ようやく探し当て神尾は、妙子と再会する。包帯だらけの身体から妙子は神尾と再会できた時、満面の笑みを浮かべ、こんな事を話した。
「カッチャン、厳島の神社のお守りの御利益があったんね。生きて還ってきたもん、私が元気になったら二人で働いて、船を造って漁師をしよう。もう船の名前は決めてるの、明日香丸ていうんよ。明日咲く花っていうんよ」
やがて彼女は息を引き取っていく。
神尾少年のその後の六〇年、恋人の妙子は原爆で死亡、兄弟誰一人とてない彼はどんな人生を送ってきたのか。西君の母親に言われたことば「よくもあんた一人でぬけぬけと、よう戻ってきたもんやなー」の言葉が、重い十字架となって六〇年間、引きずって生きてきた。
そして内田二曹の育てた十一人の子どもの一人、鈴木京香が大和の沈没地点に、養父の内田の散骨をしたとき、ようやく彼の長い人生の愁眉が開かれたような表情になった。
鹿児島の枕崎で細々と漁師を営んできたその長い年月、背負ってきた重いものが取り払われたのであろう。名優の仲代達也の顔に一筋の涙が流れている。
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