新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 07/6/16(土) 06:53:14
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満州今昔物語 1
プロローグ
満州はもう遙か昔になってしまった。現在の中国東北部である。もっとも中国では、今でも偽満州という言葉で表記され、ほとんどの中国人は満州という言葉を用いない。長い歴史のスパンから見れば、ほんの点にしか過ぎない時代が来るかもしれないが、日本はいつからここでどんな目的で、何をしてきたかをしてきたか、振り返りたい。
私がかつての満州の最南端の旅順に近い大連に住み、学生たちと過ごしたのは、もう8年前に遡る。11月末から寒風が吹きすさび、2月の上旬までは札幌より厳しい気温であった。しかし3月ともなれば、空は晴れわたり心地よい微風が頬を撫でる。
大連、かつての帝政ロシアの切り札、ロシア語でダーリニー、中国語でダーリャンと呼ばれるこの大連は、中国の東北部の海の玄関口として、中国屈指の国際貿易港である。中国の四つの大きな港は、上海、広州、天津そして大連である。
100年前には、誰がこのような都市に発展すると予想したであろうか。
大連に1999年の夏から2001年の夏まで、日本語教師として派遣された。
大連水産学院の眼下に広がる素晴らしい景観、黄海に小舟を曳航する漁船、岩場に糸垂れる若者、今でもあの黄海の海岸線が一幅の絵となって蘇ってくる。
そして大連の初夜が明けて朝5時、4階の宿舎の自室に聞こえてきた声、英語か日本語か、かすかに聞こえてくる声は、階下の東屋にたむろしている学生たちの暗唱の声であった。10人ほどの学生たちが、日本語と英語を諳んじている。ときおり天空を見つめながら一生懸命に暗唱しているのであった。
そのときの姿を見たときの衝撃、あの当時中国では、まだ同じ年代の若者は、およそ7%の大学の進学率、彼らの懸命に学ぶ姿に圧倒された。
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