新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 08/4/15(火) 10:27:19
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日本の旅とその歴史の背景 2(モヨロ貝塚2)
オホーツク文化人(モヨロ人)はどこから
5世紀に北方からやってきたオホーツク文化人といわれる人々。ウトロの海岸から稚内までの、およそ300qの海岸線に住んでいた形跡がある。アジアと日本つながりは太古からあった。樺太半島とロシアの間の間宮海峡は、最も狭い海域は7qほどである。冬期間の最も寒いときには、その海峡も結氷し、人や動物の往来が出来た。小さな丸木船を漕ぎ、大海を渡ってくることは太古からあった。民族、動物の往来が自由に出来たのである。
戦後の3回にわたるモヨロ貝塚の調査は、報道機関も注目し、その報告会に多くの人たちが参加している。最も関心を集めたのは、モヨロ人の骨格から、それまでの我が国に存在していた人間の骨格ではないこと、大柄な夥しい数の人骨、竪穴式の住居、まったく今まで発見されなかった新しい種族であることが分かった。
阿倍比羅夫が討伐したのは、アイヌなのかツングースであるか、はたまた別の種族であるかも問題になった。
5世紀、モヨロ人はアリューシャン列島からきたのではないか、と言う説が最も信憑性がつよい。アイヌ人とは異なる骨格、頭蓋骨の形、歯並び虫歯の有無などを調べた結果、アリューシャン列島に住む、エスキモーの一種族であるアリュート族に最も近いと言われている。
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