日本の旅とその歴史の背景 4(知床2)の1
新規投稿者 三木  投稿日 08/5/26(月) 10:04:26  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 4(知床2)
斜里岳の山頂にて
斜里岳には4,5回登ったであろうか。1545Mの独立峰として広い裾野を広げている。斜里岳を遠くから眺める時、この独立峰もすばらしい。
中国在住の時、登った泰山も、斜里岳と同じ高さ、秦の始皇帝が泰山で、皇帝に就任した儀式をした。この山頂と、斜里岳の山頂は、比べることは無理である。泰山の山頂には、豪華な建物が建ち並び、8合目までゴンドラが設置されている。山頂に何百貫もある釣り鐘が置かれていたのには驚いた。人海戦術の中国とはいえ、どのようにその巨大な釣り鐘を運んできたのであろうか、未だに分からない。山頂近くに、強力の往来するなか、刀で削った麺といううどん屋もあった。

少年時代のある夏の日、父と友人3人で山頂にたどり着いた斜里岳、やがて漆黒の闇となり、満天の星座は、下界では味合うことの出来ない、素晴らしい大宇宙のページェントであった。そんな星座を見たのは、その後モンゴルの夜空しかない。
狭い山小屋に寝静まっている頃、懐中電気を手に、親子連れ(父と息子、娘の小学生)が辿り着いた。「どうしてこんな時間に?」と思いながら狭い山小屋を譲り合って眠りにつこうとした。夜中の1時頃から、その父親の寄せては返す大波、小波、まさに轟音、けたたましい鼾で、朝まで眠ることは出来なかった。眠れなかったら下山にも支障もあり、体力も消耗するだろう。友達と「このオヤジ山頂から突き落とすしかない」と冗談にも、ひそひそ話をしていたものであった。
 翌朝、小学生の娘が「お父さんの鼾で誰も眠れなかったんだよ。斜里岳のてっぺんから突き落とすか、、って言われたんだよ」と報告していた。

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