新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 08/6/4(水) 05:20:04
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吉原近くの町で、一個5厘のゴム風船も売り、売り上げは多い日で60銭、すくない日は40銭、店の儲けは雀の涙、小説を発表したが原稿料は入らない。
この町で必死に生きた経験が、後の名作「たけくらべ」を産む土壌になった。
一葉は明治25年、雑誌「武蔵野」に処女作「闇桜」を発表、明治27年12月から、明治29年1月の14ヶ月の、わずか14ヶ月の期間に、「おおつごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などの代表作を発表、極貧時代の体験をベースにしたこれらの名作を生んだこの期間を、奇跡の十四ヶ月と言われている。
一葉の業績を後世に遺すべく、有志により「一葉協賛会」を結成し、24年、震災で失った「一葉記念碑」を再建、続いて26年には「一葉女史たけくらべ記念碑」を建設、そして有志の並々ならぬ努力により、現在の一葉記念館を再建したという。
一葉記念館を出た。日も陰りだし霜月も終わりともなれば肌寒い。そのあと一葉の住んでいた菊坂界隈を登っていき、戦災を免れた一葉菊坂旧居跡の掘り井戸で写真を撮った。しかし日が陰り、ほとんど映っていなかった。
あずさゆみ春はいまだの中空に かすむとはいはん月おぼろなり(一葉)
翌日友人K氏のご厚意で一葉忌(毎年11月23日)に参加して、萩野アンナの講演を聴いた。フランス人の日本人よりも上手い日本語、ベランメイ口調の東京弁、一葉の生前の暮らし向きを、時には笑いの渦に巻き込みながら話していた。
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