新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 08/6/6(金) 09:00:40
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「連帯を求めて孤立を恐れず」 あの紛争は何であったか
「連帯を求めて、孤立を恐れず、力及ばずして倒れることも辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する」この言葉は谷川雁の詩の一節であるが、当時の闘争に参加した学生達の心境を見事に表現している。
駒場祭のポスターに次のような言葉があった。
「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている。男東大どこへいく」
緋牡丹模様の入れ墨が、背に踊るように描かれていたポスターであった。
このポスターは羽子板に書かれた絵のように記憶している。そして構内にはヘルメットとゲバ棒の正月飾り、そこに「賀正」の文字もある。何とも奇妙な取り合わせであるが、正月にゲバ棒を振りかざしても、迎えるのだという悲壮感のようなものが漂っている。
この東大紛争で占拠学生631人が逮捕され、重傷者76人を出したが、多くは至近距離からのガス弾の水平射撃と、逮捕後の機動隊員の暴行であったと、朝日新聞は伝えている。
これほどの犠牲を出して、長期間封鎖され、東京大学の受験もストップさせるような事態に陥らせたのは何であったろうか。紛争の発端は医学部研修問題であった。43年1月にインターン(研修医)制度に反対する東大医学部学生自治会
は無期限ストに入った。これが東大紛争の発端であった。
青年医師連合は医学部当局と団体交渉したが、聞き入れられず、学生達は春見医局長を軟禁するという事件が起き、それに対して当局は17人の学生を処分した。
これが東大紛争の発端である。
思い返せば東大紛争も遠くなった。ゲバ棒、催涙ガスなど殺伐とした紛争はもう結構であるが、若者が政治に無関心になったら、この国は潰れるだろう。
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