日本の旅とその歴史の背景9(青森はまほろばか 1)の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/6/10(火) 07:40:43  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景9(青森はまほろばか 1)
下北半島の山中へ巨大な斧が北に聳える。内に陸奥湾を抱いた本州の最北端の青森、この地を何回訪れたであろうか。北海道は蝦夷地として、日本の文化、歴史から、さまざまな形で遠ざけてきた津軽海峡。
「ごらん、あれが竜飛岬、北のはずれと、見知らぬ人が指を差す、息でくもる窓のガラス拭いてみたけど、遙かにかすみ見えるだけ」阿久 悠作詞のこの歌を、石川さゆりが歌い始めたのは、昭和50年代の初めであったろうか。哀愁を帯びた歌詞の中に、さらに最果ては北海道なのよと呟いているような気がした。

明治13年(1880年)プラキストン線が南方の動植物の北限線を決めた。しかし北限線を決めても、この気候の変化、人や動物の往来によって、その北限の線もおかしくなったと言われている。
青森、浅虫、十和田湖、盛岡、八甲田、奥入瀬などは、よく修学旅行の引率で宿泊したことがある。が残念ながら恐山の宿泊はない。体験者に聞くと、まさに鬼気迫る夜がやってくるらしい。
 ここで「青森はまほろばであったか」と書いたのは三内丸山の大発掘があった頃、他に地域に見られない民の暮らしが豊かであったらしいと言うことである。
万葉集にも出てくる「まほろば」という言葉は「まほら」とも言い「すぐれた好い処」という意味であるが、東北と聞けば、冷害凶作、娘の身売りなどを、すぐ思い浮かべ、潤沢で肥沃な土地、暮らし豊かさを彷彿させる事はないのだが。

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