日本の旅とその歴史の背景 11(青森探訪 3)の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/6/16(月) 05:15:55  返信も含め全削除

大飢饉は人災でなかったのか
大飢饉を経験してはいないが、終戦後の食糧難は今でも脳裏に蘇る。3ヶ月も米一粒もなく、来る日も来る日も薯雑炊、カボチャで黄ばんだ掌を見せあったものだ。「どっちが黄色いか」と、そして痩せた手足をひっさげて歩いた少年時代。
そんな時代を経験している者にとっては、昨今の賞味期限切れの食料品が売られていることに、ケンケンゴーゴーの世の批判に、時代は豊かになったのだ、賞味期限など昔はなかったのだ、肉は腐り始めが美味と言われて食した時代もあった。 

世界中で、もっとも食されている穀物は、小麦そして米、トウモロコシの順位であるという。この数年はバイオエタノールとかいう石油に代わる穀物として、トウモロコシの栽培が世界各地で広がった。ブラジルにもアマゾンの熱帯雨林もその余波を受け、物価の高騰に拍車をかけている。ベトナムに旅したとき、水田の彼方に日が落ち、水牛がゆったりと農機具を引いている姿が見られた。ベトナムは3毛作であるから、ふんだんに米はあったのだが、どのホテルでもあまり美味とは言えない米だった。やはり米の旨さは日本に限る。

さて大飢饉は天災であったのか、東北地方にだけあったのか、という問題がある。5月の田植え時の「霖雨」(長雨と冷気)によって、住民は重ね着をしなければならず、暑いはずの7,8月も、冷たい日々が続き、「やませ」という北風が吹いた。稲の穂は出ず、田畑の実りは全くない年もあった。その最たる年は天明の大飢饉と言われる年であった。
しかし凶作の年が毎年続いたわけではない。凶作の前年はたいてい豊作であったことが多く、小氷河期と言われる時代であったが、凶作は5年に一遍くらいであったと物の本には書かれている。それではどうしてこの東北地方に、大量の餓死者が出たのであろう。

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