新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 08/6/22(日) 11:20:43
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私が23才の頃、よく暖簾をくぐっていた一杯屋の女性が語っていた。
「神戸ってね、世界で一番好い街かも知れないよ、垢抜けしていて、人の気持ちが明るく、親切、おおらかな街、もちろん景色もいいし、水も旨いし」もうすぐ神戸に帰ることになった、その女性の口元が、嬉しそうに笑っていた。
「ああいつかは神戸に行きたい」と思っていた。その神戸訪問は67歳の時であったから、神戸は世界一と言う話を聞いてから44年経っていた。
阪神淡路大震災
平成7年1月17日の朝、私が起きて家内とテレビを入れたのは6時半頃、どの画面も神戸市街地に燃える炎が目に入った。「すごい地震があったようだよ」という家内の言葉に頷きながら、しばらくニュースを眺めていた。
その後の報道をまとめてみると、
1995年1月7日午前5時6分、マグニチュード7.3、兵庫県淡路島北部を震源とする大震災は、神戸、阪神間の大都市を直撃した。死者6432人、家屋全壊被害18万6000世帯、戦後最大の被害である。電気、水道などのライフラインはじめ、鉄道、港湾施設も大被害。兵庫県の被害総額9兆9200億円、
大規模火災の映像は毎日のようにブラウン管に映り、見る者の目を悲しくさせていた。村山首相の対応の遅さも批判されていたし、なによりも命を繋ぐ食料の搬送が滞り、情報伝達の遅さもイライラ感を増幅させていた。
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