新規投稿者 三木 伸哉
投稿日 08/6/22(日) 11:22:58
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小田実の怒りと取り組み
去年の夏、75才で逝った小田実も、自宅の被害に遭った。行政の対応の悪さを批判していたことも忘れがたい。避難民が刻々と増えていく、消火のための給水はゼロに近い状態、消防車が現地についても、水が一滴も出ないということはざらにあったようである。銀行のATMも作動不能になったので、預金も下ろせない、給与の振り込みも手に出来ない、手元にお金がないという住民のあせり、不安はどうであったろう。戦後50年を水の出ないまま火炎に包まれていた。
小田実は、「世の中がいくらなんでもひどすぎる」と言うときに立ち上がる。ベ平連の時もそうであった。彼が一番怒り心頭に来たのは、弱者がいつまでも置き去りにされ死んでいったことである。
ライフラインは復旧した。あの活断層のドてっ腹にトンネルを空けるような工事であったが、高速道路も復旧した。ライフラインの復旧は経済大国ニッポンの威信を賭けて見事に復旧した。
しかし妻も子も失った独居老人が今日も死んでいく。2年間も仮住まいの中でさしたる援護の手もさしのべられないまま、孤独死が続いている。
このようなことが許されてよいのか、というのが彼の怒りであった。
行動する知性は、「1年過ぎても仮設住宅に入っている7万人を何とかしろ」と政府に向けられた。絶望の果て自害する老人が後を絶たない。こんな冷たい国は、行政は、もう市民レベルで立ち上がるしかない、と決断して「被災者支援法」の制定に向けて立ち上がった。15人の市会議員が立ち上がった。2500万人の署名が全国知事会を動かした。賛同議員122名の賛成を得てようやく国会を通過することが出来た。
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